人間がペットを飼う理由は、人間が群れる生き物であることが関係し、希薄になった人間関係を補う行為として、という説があるらしい。
群れで生活する生き物に狼がいる。
統率された行動で巧みに狩を展開する賢い動物として知られてる。
群れに属しているとエサにはありつけるが、群れの成員全てが満足できるエサの量があるわけではない。
群れの中には厳格な序列があるが、その序列の争いは激しく、争いに負けると序列が下がるか、群れを追い出される。
群れを追い出されることは、狩ができなくなることを意味するので、多くの場合死を意味する。
そんな追い出された狼が、俗に言う一匹狼だ。
一匹狼は、独自に生きる術を見つけるか、別の群れに合流し最下層からスタートするかしかない。
何と人間社会と似てることかと感じる。
しかし、一匹狼の一部が人間社会に歩み寄った。
狼の生態を知ってる人間は、一匹狼が群れの狼とは違うことを知っているので、そんな狼を受け入れる。
人間からエサをもらう代わりに、人間のために働く、そんな関係が出来上がる。
そんな狼が長い時間を掛け、やがて犬になって行くが、野犬や狂犬が大幅に減った現在では、人間と犬は表面的には非常に友好的だ。
人間と犬は友好的であっても、基本は主従関係だ。
群れで生きてきた人間が、核家族化で分散し、終身雇用制の消滅化の加速などで、群れのルールやしきたりが減り、個人の自由が尊重されるようになり、人間関係が希薄になると、一匹狼が人間にすり寄ったように、人間がペットにすり寄り出してきた。
心に隙間が増えた現代人がペットを飼う理由の第1位が『癒し』であることは、群れ型の生き物にとっては”関係”が大事であるということだろう。
ところで、“癒し”と言う言葉は一種の流行り言葉のような気がするが、流行り言葉だとするといつ頃からだろうか?
Wikipediaによると1999年に“癒し系”と言う言葉が生まれたようだが、こういう説明がなされている。
人間には心身ともに癒し要素を持つものが本質的には受け入れられる。特に心身にストレスがたまっている場合などは過激さは不適切である。バブル時代は白熱した刺激が好まれる傾向もあったが、バブル崩壊後、社会が不安になってくると過激な刺激はよどみ嫌われた。元々、過激さには人体危険が伴うのが常であり、それを求める傾向は一種の自虐行動である。心理学的に人間が本質的に求めているのは安らぎと平穏であり、もともと人間は攻撃的な要素を好まない。もしくは極力避けることで自己防衛を図る生き物なので、癒しを求めることを攻撃的要素を避ける意味でも非常に大きな意味を持つと本能的に知っている故の現象である。
では、“癒し”の反対語は何だろうか?
検索すると、“傷心”や“不快”や“病む”や“患う”などが出てくるが、ズバリは無さそう。
最近の世間の動きを見ていると、私には"癒やし"の反対語と"ハラスメント"が密接に関連してるように思えてくる。
ハラスメントを生み出す心理の背後には、"もっともっと"と求める気持ちがある。
"もっともっと"がストレートに出る場合と、歪んだ形で出る場合がある。
ハラスメントを行ってる加害者側の人物も、自分が何に衝き動かされてハラスメントしてるかよくわからず、自己嫌悪を感じながらハラスメントを行っているかもしれない。
そうだとすると、加害者VS被害者ではなく、全員被害者とも言える。
被害の背後にあるのは"関係"ではないだろうか。
運営者がお金を払うコミュニティは難しいので、会社というコミュニティの熱量あげるのは相当な難易度なんですよね、、オンラインサロンみたいにお金払ってもらうのが一番やりやすそう
— けんすう (@kensuu) 2018年4月22日
間違っているとかではなく、飽和状態になり成り立たなくなっているような関係性がある。
湿度が100%になると、それ以上水蒸気は発生しない。
更に水蒸気を留めたければ、気温を上げるしかない。
もっともっとを求めることは、気温をどんどん上げ、一定水準を超えるとどんどん不快指数が高まるだけだ。
そんな時は、やり方はともかく湿度と気温を適度に保つ必要がある。
とりあえずは、上がりすぎた気温と湿度をどちらも下げなければいけない、ただし下げ過ぎは禁物だ。
要が"関係"にあるような気がする。
個の力を磨いて自分のブランドを高める、というのはあまり現実的ではないと思います。そんなことができる優秀なスーパーマンみたいな人は、そう多くないでしょう。
専門分野はないよりあったほうがいいけれども、完全に寄りかかってしまうのは危険ですよね。
仕事の入り口は、スキルではなく人間関係がほとんどです。
僕は友だちに見返りを求めません。気の合う仲間と良い関係を築くには無償の善意みたいなものが必要で「君は良い人だから、イベントに付き合うよ」という感覚ですね。
新しい人間関係を作るうえで避けるようにしているのは、悪口を言う人、自慢ばかりする人、説教の多い人、物事を損得で考える人、業界内の話しかしない人、会話がキャッチボールにならない人、攻撃的な人です。
「いかに得するか」というあざとさを捨てなくてはいけません。
例えば、この人とつながったら得しそうだなという考え方はあざといし、その計算は相手に伝わりますよ。
仕事をしていかなきゃならない、生活していかなきゃならないので、人生の戦略はすごく大事ですが、そこで人を利用しようと考えるのではなくて、一緒にうまくやっていきましょうというスタンスです。
印象に残るフレーズを選んでみたが、どれも小学生以下の子供時代には当り前だったようなものばかりだ。
大人になると、子供時代の気持ちが持続しないのは、本音と建前が存在するようになるからで、本音と建前が存在するようになるのは、それだけ生きることが困難だからだろう。
しかし、おそらく本音だけの時代になっていくのだろう。
現在はその過渡期で、本音にも格差がある。
自分自身の本音を再確認し、行動をシフトさせる時期にきている。
これも生態系(エコシステム)の変化で、適者生存の動きだろう。