世の中にはさまざまな境目がある。
成功と失敗の境い目なんていうものもある。
誰もが成功しようと願い行動するが、成功する方が少ないかもしれない。
成功するために取る行動は様々だが、それが失敗すると後から反省点はたくさん出てくるが、なぜか前もっては失敗する理由は分からない。
もっとも、では成功した人が成功した理由を分かっているかというと、成功した理由なんて分析しないことが多いだろうし、多くの人が「成功するべくして成功したんだ」と思い込んでる場合が多いだろう。
成功と失敗の違いは人間にとっては途轍も無く大きな違いだが、因果関係の差を見ると大した違いは無いかもしれない。
だとすれば成功と失敗の境い目は結構グレーなもので、まるで晴れと雨の境い目が曇りであることが多いのに似ている。
これは、成功と失敗に限らず、境い目という概念が当てはまること全般に共通してるかもしれない。
『健康と病気』や『平和と戦争』など、全く正反対の状態は、無限のグラデーションのあるポイントを境い目に線引きしただけで、実は境い目はあるようで無いのかもしれない。
同様に、趣味が嵩じたオタクの世界では価値観が異なるために理解し合えない状態を「あちら側の人」と表現したりするが、この場合は線引きした内側のいわゆる「こちら側の人」同士は奇妙な連帯感があったりする。
metooやkutooを始めとするハラスメントや差別も「あちら側」と「こちら側」の不毛な対立と言えなくもなさそうだが、そもそも明確な線引きができるものというよりも、無限のグラデーション上に無理やり線引きしたものだと言える。
グラデーションを描くような多様な分布に、一本の線を境い目として分断するというのは人間の特徴と言えそうだ。
人間は一人では生きられない、だからと言って皆が仲良くすることはもっとハードルが高そうなので、通じ合う仲間を探すことが必要になる。
昔はイデオロギーで人が結びついていたが、イデオロギー色が強くなるほどに序列で雁字搦めになるが、序列は分断を生みやすいので結局結びつきとしては弱くなるという欠点があるので、現代ではイデオロギーは利害を絡めて人を結び付けることしかできないように見える。
このように考えると、人間は居心地の良い狀態や仲間を求めて、境い目を設けて「こちら側」と「あちら側」を分けてしまう生き物だと言えることに気付く。
だとすると、自分にとっての「こちら側」を知ることはとても重要になる。
「こちら側」を理解せずに行動しても幸せからは遠ざかるだろう!