先月4月17日に亡くなられた漫画家の小池一夫さんは、その少し前に次のようなツイートを発していた。
国会議員の失言が相次いでいるけれど、「失言は、本音」ということは忘れちゃダメだぞ。
— 小池一夫 (@koikekazuo) April 12, 2019
このツイートの後でも相変わらず国会議員の本音の失言は続いている。
本音にも様々あるが、言えば失言になる本音には普段はブレーキがかけられているのかもしれない。
言っても大丈夫な人だけを選んで喋っていたり、喋る際には何らかの保険をかけているだろう。
そんな保険は、配慮と呼ばれたり、計算と呼ばれたりするが、そんな保険が機能しない場合がある。
「しらふの人は頭で、酔った人は舌で(しらふの人は頭で考えるだけだが、酔った人は口に出してしまう)」ロシアの有名な諺があるそうですが、酒に酔った人は本音を話してしまうもの。これまで失言した閣僚も「自分の本意ではなかった」とか「誤解を与えた」などと言いますが、言い訳になりません。
— 棗一郎 (@natsumeichiro) May 14, 2019
本音に保険をかける場合の無難な方法として、わたしも活用するのが、他人の言葉の引用だ。
しかし、引用する場合には注意点や覚悟が必要になる。
自分と向き合わない人は、誰かの言葉を借りなければ話せなくなる。本音を言えば失言になる。そして、最後は、正論しか言わない《嫌な大人》になる。
— 津田 明彦 (@akihiko_tsuda) April 29, 2019
人間は生きてりゃ必ず失敗や失言はする。
— 宮尾岳 (@GAKUJIRA) April 5, 2019
あなたの好きな人や子供が、それまで頑張って来たのに
たった一つの失言に
「やっぱりね それが本音だ。 本音だからつい口にしたんだ」って決めつけて
周りがよってたかって責める。
そんな社会が欲しいのかい?
誰かの失言が、別の誰かの本音であるような場合、失言は本音の代弁となる。
この構造に人間関係の上下関係が介入すると、失言の大元に忖度があることが想像できる。
たった一言、されど一言!
一言から始まる関係もあれば、一言が原因で終わる関係もある。
人を救う一言もあれば、人にトドメを刺す一言もある。
いつまでも覚えてる一言もあれば、すぐに忘れる一言もある。
嫌われる一言にはデリカシーが無く、好かれる一言には思いやりがある。
さまざまな影響力を持つ一言には、嘘と本当がある。
結果が良ければ、嘘も方便と言われ、決して悪いことではない。
本音が悪いわけではないはずだが、失言をした場合は、その失言は本音だと烙印を押されてしまうとするならば、本音は隠すものやオブラートに包むものになるのは自然な流れだ。
MeToo運動後、男性が女性を避けているという。
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) May 28, 2019
「男性管理職の約60%が職場での女性への指導や社交に気まずさを感じている」との調査結果
良い解決策とは...?https://t.co/ytfijpmGTa
勝ち誇ったように、『失言は本音だ!』と責め立ててると、巡り巡って良くない流れが生まれるのかもしれない。
今まであまり意識したことなかったが、『罪を憎んで人を憎まず』ということは考える価値があるのかもしれない。