違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ギャップが、常識を非常識にさせ、非常識を常識にする!

コロナで注目されたことの一つにUberEatsがある。

 

自粛ばかりが求められる中で、働き手が増えてる希有な存在として注目されていたが、私にとってはむしろUberEatsで注文する人の方が興味の対象だった。

 

コロナが全く関係なかった1年前にUberEatsをやってる方が書いてる体験談では、富裕層やセレブが利用者に多いと書いてあった。

 

都内の一等地をエリアにしてれば自然と富裕層やセレブが多くなるだろうが、同じ配達でもピザの配達客とは少し属性が違うのかもしれない。

 

しかし、コロナで自粛が増えてからはUberEatsの需要はごく普通の人(若者が多そうな印象)に拡大してるのかなと思わせる書き込みが多く見受けられるようになった。

 

非常に大雑把な見方だが、コロナでUberEatsはピザの宅配と大して変わらない存在にシフトしたように感じられる。

 

客層が、特定の層に偏っているような場合と、多くの層を網羅するような場合では、同じことをやっていても違うものになってしまいそうだ。

 

 

UberEatsに関しては今後は、配達員がさらに増えるとすれば、配達員のキャリアや年齢層のばらつきが拡大するので、今想像もしてないギャップが生じるかもしれない。

 

ギャップが生じるところには、属性の違いがある。

 

 

世間に存在するギャップの中で、最も根深いものに世代間ギャップがある。

 

 

 

自由に好き勝手にやってるように見えるテレビのお笑い番組の中に若手と中堅とベテランが混在してれば、そこには本当は拭いきれないギャップがあるのだが、キャリアの浅い芸人が先輩芸人に忖度することでギャップなどないかのように振る舞わらざるを得ないことを、お笑い芸人のEXIT兼近は『こっちは気を遣って笑うしかできない』と表現した。

 

 

EXIT兼近の「物言い」でわかった 中年芸人で成り立つバラエティの重大危機

 

〜〜以下引用〜〜

 

番組で「言葉の世代間ギャップ」がテーマになった際、「いま活躍している芸人たちがドラゴンボールやプロレスでよく例えるけど、若者には伝わってない」と持論を展開。「こっちは気を遣って笑うしかできない。若い視聴者は『わかんないから、もう見なくていいや』となってお笑いから離れていったと思う」と続け、隣にいた同世代の指原莉乃も同調したのだ。 

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

 

分かりやすく伝えるつもりで使った例えが通用する人としない人の間にあるのは世代間ギャップだったりするが、そんな時に発生する忖度を意味するズバリの英語が見当たらないところを見ると日本の独自ガラパゴスなのだろう。

 

差別と言われながらも、年齢を気にすることがいつまでもなくならないのは、世代間ギャップを無意識のうちに警戒してるからかもしれない。

 

 

 

 

 

 

世代間ギャップを例にあげたが、ギャップの第一印象は不快感になりがちかもしれないが、示唆に富んでるからこそ、その示唆が自分には欠けていると気付くからこその不快感なのかもしれない。

 

ギャップが生じてると、常識は非常識になり、非常識は常識になる。

 

 

5ヶ月後には新しいアメリカ大統領が誕生するのだが、4年前トランプ大統領が誕生した際にノーベル経済学賞受賞のクルーグマンは、地方の白人の怒りの深さに驚いていた。

 

 

 

 

トランプ大統領を誕生させたのは怒りだったのだが、怒りは意識のギャップの賜物なのだ。

 

この、地方の白人の怒りの矛先こそが、グローバル化だったのだ。

 

常識だったグローバル化にNOが突きつけられたのだ。

 

 

 

それから4年。

 

アメリカでは、白人警察官が黒人男性を拘束死させた際の行動を巡って大きな暴動が起き、その暴動の拡大が便乗テロ化の様相も呈し始めてるが、この根底にも怒りが感じられるが、思わぬところからも怒りが向けられている。

 

 

 

 

 

 

アメリカに限らない。

 

権力者やリーダーが理解してる世論と実際の民意の間に生じてるギャップこそが怒りを生んでいるのだ。

 

そして、怒りのせいで注目されないが、デモや暴動はひっそりと常識を非常識化させ、非常識を常識化させているはずだ。

 

 

なかなか変わらないように見える世の中だが、今この瞬間も静かに変わり続けている。(はず)