石原慎太郎が『「NO」と言える日本』を出したのはいつだったかなと調べると1989年だった。
ソニーの会長だった盛田昭夫との共著でもあった。
なるほどバブル景気の勢いもあったことが想像できる。
Wikipediaに書かれてる内容を見ると、石原慎太郎よりも盛田昭夫に関して書かれていたことの方が味わい深かった。
アメリカ企業に精通してるとされた当時の盛田昭夫のアメリカ企業観が以下。
〜〜以下引用〜〜
- アメリカの企業はM&Aのようなマネーゲームに躍起になり、実際の商品の創造や製造力を蔑ろにしている。
- アメリカの企業は短期的な利益に躍起になり、製造の海外移転などの長期的な全体の生計を犠牲にしている。
- アメリカの企業の重役の収入は多すぎて企業のためにならない。
- 日本の企業は厳格な共同体であり、全体として結果はよい。
- アメリカとの貿易黒字はアメリカには望ましい製品が欠けていることが原因である。
- アメリカの企業は基本的な調査によれば強力だが、製品の進歩やマーケティングにおいてはそうではない。
〜〜引用ここまで〜〜
では盛田昭夫は日本企業をどう見てたか。
〜〜以下引用〜〜
- ジャパンバッシングが頻繁に起こっており、これは主として地元の社会に溶け込めない海外の日本人経営者の責任である。
- 理解を深めるため、日本人はアメリカ人と交渉する時は西洋の文化や言語に慣れるため更なる努力をすべきだ。
- アメリカが日本の地位を認めていないことはアメリカや世界の経済によからぬ結果をもたらすだろう。
- 日本は世界のリーダーとしての役割を自覚し、世界経済を支える役目を負うべきだ。
- 日本は経済のリーダーとしての地位を強め、アジアの復興に協力すべきだ。
- 日本は真の世界のリーダーになりたいのなら対外援助を増やすべきだ。盛田はこれを自国への貢献と同等に考えている。
〜〜引用ここまで〜〜
この本が英訳されることには石原慎太郎も盛田昭夫も反対し、盛田昭夫はこの本を公式には無かったことにしたようだ。
しかし、両者ともその後も日本国内では同じような主張は繰り返した。
声高らかに『NO』と主張したかったはずの、そしてそれが似合いそうな人物でも、結局忖度からは抜けられなかったのだ。
その真意は憶測の域を出ないが、極めて日本人らしいし、その当時から35年が経過してるが、今聞いてもやっぱりね感が強い。
歴史を振り返ると『NO』と言う人を村八分にするのが日本文化だが、裏を返せば『YES』で多数派を構成するのだが、YESの中にはNOと言えない人が多数いるという歪さこそが特徴なのだ。
今でもNOが言えない人は多そうだが、YES派の力も弱体化してるように感じるのは世界の中で日本の地位が相対的に低下することとリンクしてるのだろう。
弱体化しながらもYES派はまだまとまった存在として勢力は維持してる一方で、NO派の人たちは一人一人バラバラな無関心層を形成してるように見える。
NOと言うことに不慣れだとYESに逆らうことが目的になる。
NOを言い慣れてると、YESの精度や確度を高めるためのNOと言う使い方が身に付く。
老朽化したインフラが補修もされず朽ちていくだけなのを見てると、老朽化してるのはNOに支えられてないYESの成れの果てを感じる。
『それでは困る』と小さなNOの声があちこちから上がるが、その声は影響力に乏しい。
主張してる内容や要望が的外れなわけではない。
不思議なことや理不尽なことが起きてるわけでもない。
万物の無秩序化は宿命づけられていて、そのことは法則化されてもいる。
地球規模、宇宙規模で見ると、万物の無秩序化は予定調和なのだ。