男であるか、女であるか、立場の違いや、年齢差などを意識しながら対応や発言を変えることは、処世術として誰もがある程度使っているだろう。
そして、仕事であれ、プライベートであれ、会話は噛み合ってるのに、その後の行動や結果が結びつかないことがあるということは、多くの人が経験あるはずだ。
最初から嘘を付くつもりの場合は別として、大して興味がないのに興味があるように喋ったり、良く知りもしないのにさも知ってるかのように喋ることがある。
どこかで聞いたような、誰かが言っていたようなことを自分の言葉として話すことがある。
こういう場合、処世術として"空気を読んだり"、"相手に合わせたり"という気持ちが働いてる事が多い。
では、現代の空気はどのようなものなのだろうか?
買い物する際に社会的消費(環境・倫理的消費)に関連する用語を見聞きした場合、買いたいと影響される人は全体で45%。どの年代においても女性の方が男性より社会的消費に関心が高く、購買意欲を刺激されることがわかった(図表1、図表2)
社会的消費(環境・倫理的消費)に関連する用語として7の用語を例示した中では、「オーガニック」が最も関心が高く、次いで「エコ」「ハンドメイド」「フェアトレード」の順となっている(図表3)
社会的消費(環境・倫理的消費)に関連する用語で、男性では「エコ」、女性では「オーガニック」への関心が最も高くなっている(図表4)
「オーガニック」は30歳代で男女ともに関心が高く、「エコ」は特に男性50歳代以上で関心が高い。「サステナブル/サステナビリティ」「エシカル」はどちらも、男性の方が女性より関心が高い傾向がある(図表5)
調査の結果からは、男女ともそれなりに意識が高い様子が感じられる。
「エコ」や「サスティナブル(持続可能性)」や「エシカル(倫理的)」を意識する傾向が高い男性と、「オーガニック」を重視する女性は、会話が一致しても何の不思議もない。
『意識』は、似ているし、時代や社会情勢を反映してるように感じられる。
では、そんな意識に基づいて行動した結果はどうなるだろうか?
男性では全年代で「肥満」が増え、「やせ」がおおむね減る一方、女性では全体的に「肥満」が減り、「やせ」が増えている。
中高年女性では「肥満」が減り「やせ」が増えているため、スタイル維持に励む「美魔女」の存在が、男性では20歳代のみ「やせ」が増えているため、「美容男子」の存在が窺える。
意識レベルに大きな差はない男性と女性は、普通に会話が成立するだろうが、その後の行動は違っているようだ。
会話が一致した男性と女性は、その後のお互いの体型の変化を目の当たりにした時に、男性はともかく、女性の側は「あの時の会話は何だったんだろう」と思うはずだ。
男性は、嘘をついたのだろうか?
私は男だが、つくづく男の言うことが当てにならない時代になったと感じる。
あくまでも"マス"として捉えた場合の話だが。
こんな話がある、面白い話なので、ゴソッと引用する。
マキタスポーツ「おばさんを『うるせえな』と思う前に男はこれを思い出せ」 2018/6/26
世間を注意深く見ると、しきりに声をあげているのはおばさんである。特に2人以上になると凄い。あそこのお菓子が不味くなったとか、誰それが素敵だとか、誰それの顔が長くなったとか……そして合間に「きゃー!!」とか「ピャー!!」も入る。我が家と同じではないか。
老人ホームに慰問に行った時のこと。当時全くの無名だった私を声を上げて歓待してくれたのはおばあさん達だ。よくわからないであろうネタに笑っていたのもおばあさん達である。最後はペタペタと体も触ってもらい、気づけば手にキャラメルも握らされていた。
一方、おじいさん達は遠くから注意深く様子を見ているか、「なんだこやつは?」と今にも怒り出しそうな雰囲気だったのであり、更に言えば、それをグッと堪えていた。社会性か。
同じ場所に数度慰問に行ったのだけれど、季節を跨ぐと顔ぶれが変わってしまうのも老人ホームという所である。あの時警戒心バリバリで見ていたおじいさんの姿は無く、逆に、ニコニコ、ペタペタ、ピャーピャーと声を上げていたおばあさん達に会えたりすると、「なるほど……」と妙に腑に落ちてしまうのだ。
女性に見習うことが多そうだと、まとめようかと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
女性は女性で、問題を抱えてるらしいことがわかった。
いつの頃からか、大人の女性に対しても女子という言葉を使いだした。
おっさん女子の特徴!女子力ゼロ!周りにドン引きされる行動8つ!
おっさん女子と呼ばれてる間は、愛嬌がある存在として通用してるようにも見えるが、女性自体が微妙な存在になってることがわかる。
Google Trendsで"おっさん女子"、"おやじ女子"、を比較すると、
「おやじ女子」が「おっさん女子」にシフトしたように感じられる。
社会に出て、処世術としておやじ化やおっさん化を選択した女性のメンタリティは、男なのだろうか、それとも女なのだろうか?
年令に関係なく、女性を"女子"と呼ぶことが広まったのは、ネットを検索すると2005年の週刊新潮の3月17日号でコラムニストの山田美保子さんが、女性同士の集まりを「女子会」と書いたことがルーツとされるらしい。
「女子会」を加えてGoogle Trendsで検索すると、
「女子会」の女子と、「おっさん女子」の女子は、果たして同じ人種だろうか?
こんな話がある、著者の深澤真紀さんは「女子」を語る第一人者と言われているらしい。
「紅一点女子」と「おやじ女子」 社会を生き抜くために「女」嫌いになってしまう女たち 2009年1月23日
「おやじ女子」は、「私はおやじだからね」などと言って、「すぐ泣くのは女の悪い癖だよ」とか、「制度があるとはいえ産休を堂々と取ったら、迷惑だよ」などと、「おやじ目線」で言います。
「おやじ女子」や「おっさん女子」は、男社会に適応するための処世術かもしれないが、その結果、男以上に女性に対して厳しい目線を向けてると言われている。
ネット上をいろいろ検索してると、「おやじ女子」や「おっさん女子」は「女子会」があまり好きではないと出てくる。
そりゃ、そうだろうなと納得できる。
一方、上記に出てきた「美容男子」と言われるようなタイプの男性は、女子会を嫌がらないだろうし、女子の側も違和感なく受け入れるだろう。
「女子会」は桁が大きすぎるので外して、「女の敵は女」を加えてみると、
「おっさん女子」や「おやじ女子」というキーワードの認知と、「女の敵は女」がリンクしてるようにも感じられる。
「おっさん女子」も「おやじ女子」も、メンタリティ的には男性社会に適応したという意味では、男の括りに分類されるだろう。
今、世の中に新しい価値観を作る力があるのは、おっさんではない「女子会」的な勢力だという気がする。
好きなものを好きと言ったり、欲しいものを欲しいと素直に言えるのは、間違いなく「女子力」の為せるもので、同じ条件の時、男(おっさん女子やおやじ女子を含む)は、分析をまず行い、エビデンスを求めようとする。
決して間違っているとは思えないが、それじゃあダメなんだろうな感はある。
長いこと社会で優位を占めた男的な価値観の終わりが始まっている。