人と人が向き合う対人場面においての影響力は、視覚情報が55%、聴覚情報が38%、言語情報が7%と言われてる、これがメラビアンの法則。
これは人と人が対面でコミュニケーションを取る場合の話だが、コロナ禍でのzoom会議などの遠隔コミュニケーションでは、これに通信環境の影響が加わっていたはず。
通信環境が悪い場合ほど、人としての評価の低下に繋がったという話は少なくないし、通信環境以前にITの設定すらできない上司という話も伝わっていた。
当人にはあまり自覚がない状態で、あるいは分かっていても簡単には改善できない状況下で、評価がダダ下がりになっていたのだ。
プレゼンをする場合、視覚情報を重視した方が良いと言われると、その意識は、資料やデータを厚化粧するかそれとも薄化粧やノーメイクにするかに向かいがち。
しかし、ここでいう視覚情報とは資料やデータのことというよりも、プレゼンターの表情や身振り手振りや服装や髪型だったりなのだ。
肝心なはずの資料やデータは言語情報として伝わり、伝わってもせいぜい10%止まり。
同じようなことはテレビやYouTubeでも起きてるはずで、人気がある番組やチャンネルでは、何を表現し伝えていたかは余程の大事件やトクダネ以外は言語情報としておまけのような存在でしかないのかもしれない。
では本の場合で圧倒的に文字で構成されてるものの場合はどうなるだろうか?
視覚情報とは、おそらくタイトルや著者名や装丁になるのだろう。
これ以外に、キーワード検索で引っかかるような要素をどれだけ作れるかも影響するだろうし、プロモーション活動も意味を持つだろうが視覚や聴覚をどこまで刺激できてるかは微妙な気がする。
そういう意味では著者が有名人で露出が多いと、視覚や聴覚への刺激は多くなるから、有利に働くはずだ。
インフルエンサーが重宝されるのも当然だ。
この理屈はブログでも当てはまるはず。
コンテンツの内容で勝負するんだと意気込んでいても、有名人の特になんの出来事もなかった日記や、独り言のようなものの方が圧倒的に強いし、ブログに限らず、社会的に重要なはずの出来事よりも、視覚や聴覚を刺激するどうでもいい出来事の方が強い印象を与えるのだ。
このようなことを日々強く感じているのは伝えることに携わってるプロで、キャリアの長い人ほど昔との比較でため息をついているかもしれない。
先日亡くなられた上島竜兵さんがコロナ禍で、ファンや視聴者の視覚や聴覚を刺激する持ちネタを披露しづらくなっていたという話も伝わってくる。
「リアクション芸人にはやりにくい時代です。コロナ対策を徹底すれば芸のリアルさが失われるし、“熱湯風呂”もコンプライアンスの観点からできなくなってきている。このご時世にダチョウ倶楽部の芸のおもしろさをどう伝えるか、上島さんは頭を悩ませていたようです。4月におこなわれたイベントで、アクリル板越しですが久々に“キス芸”をやれたときは、嬉しそうでしたよ」(芸能事務所関係者)
伝えたいことが伝えたいように伝わるとは限らないだけでなく、伝える術を奪われることすらあるのだ。
ギャップはあっても伝える術があることはありがたい。