人生で最初にした自己紹介を覚えているだろうか?
わたしは覚えていない。
しかし、最初の出会いの場では自己紹介がきっとあったはず。
幼稚園の頃だろうか?
それより前だと親が代わりにやってくれていたような気もするが、大きな声で自分の名前を言いなさいとは言われていたような気がする。
最近でこそ人の第一印象は出会って3秒で決まるなどと言われれるようになり、そうなるとことばで何を語るか以上に、どんな表情をしてるか、どんな外見をしてるか、など3秒あれば伝わるものに価値が移ってきたように感じられる。
本当に訴えたいことやアピールしたいことに関心を持ってもらうためには、その手前の3秒で決まる第一印象を勝ち抜かなければいけないのだ。
映像の世界では、映像にテロップで文字を挿入する場合のお約束として1秒4文字、1行16文字で2行まで、というのがあるらしい。
つまり1枚の字幕に収める字数は最大32文字で、これがいわば第一印象に相当し、ここで視聴者の気持ちを逃してしまうとアウトなのだ。
おそらくこれと全く同じことが、世に存在するさまざまなコンテンツのタイトルやキャッチフレーズの付け方にも当て嵌められているのが今だ。
こう考えると、5ー7ー5の俳句が流行ってる理由も納得できる。
単なる懐古趣味ではないのだ。
さて、ここまでやって第一印象にこだわる必要があるのは、あくまでもその先が肝心なのであって、最終目的が第一印象の良さの獲得ではないのだ。
その先にあるものとは、すべての分野に該当するような言い方をするならば、自説を展開するポジショントークへの誘導だ。
商売やビジネスならば、より商品を売るためのポジショントーク。
政治ならば、展開する政策や選挙での当選のためのポジショントーク。
さまざまな分野に、さまざまなポジショントークが存在してるが、多くの人はそれがポジショントークという自覚は薄いかもしれない。
テレビを見てると、ニュースや報道の番組ですらワイドショー化が目立つようになっている。
と同時に、ワイドショーやバラエティでも政治や経済をネタとして扱うようになっている。
最初は一種のパロディなのだろうと思っていたが、どうにもパロディでは説明がつかない現象にも思える。
21世紀に入ってからは、公務員も含めてすべての仕事はサービス業だと言われることが増えた。
サービスはほどほどがちょうど良いのだが、ピントがズレると至れり尽くせりがサービスだと勘違いするようになる。
取扱ジャンルや取扱商品を増やすことがサービスだと勘違いする背景には、そうすればお客が増えさらに儲かるからと思うからだろう。
自治体が展開するふるさと納税なんて典型だ。
ポジショントークの裏には儲けや得をすることへの欲があるのだ。
そのことが悪いなどと言いたいわけではなく、諺でいうところの『情けは人の為ならず』なのだ。
この諺は、勘違いされて解釈されることが多いが本来の意味は、他人に情けをかけるのは思いやりからというよりも巡りめぐって将来自分に良いことがあるようにと期待しての行動を示している。
ざっくり言うと、人が取るほぼすべての行動は、情けは人の為ならずなポジショントーク的な動機から生まれてるとすれば、それは広告宣伝そのものだと思えてくる。
趣味や遊びの世界にもその波は及んでいるような気はする。
そんな時どうするか?
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!