猛暑の日本に爽やかな風を吹かせたのが、スーパーボランティアの尾畠春夫さんと甲子園での金足農業だった。
私の目には、この両者に共通点が多いと感じられる。
そんな共通点とは、
・下馬評的な話題が全く無かった(後からネタがドンドン出てくる)
・単に人気が出ただけではなく、既存の仕組みや考えのアンチテーゼや対立軸を思わせる存在になった
・一見マイナーな存在でありながら、積極的に自己主張するわけでもないのに、多くの人々の共感を得た
などだ。
積極的に自己主張するわけではないが、ほとばしる思いが表に出ていたことも、特徴と言えるかもしれない。
尾畠春夫さんのボランティアに掛ける思いは、自助努力ではどうすることもできない困ってる人の役に立つならば、それが自分の喜びになり、喜び以外には何も求めないし、実際に求める気が全くなさそう点が、自己主張と言えば自己主張と言えるかもしれない、そうだとするならば強烈な自己主張なのかもしれない。
金足農業も、校歌斉唱の仰け反り姿が一見自己主張に見えないこともないが、喜びを全身で表したと言えるし、その喜びも、勝ったからという喜びというよりも、好きな野球をすることができるという喜びだと思わせてくれるものだった。
では、この両者が感じさせてくれたアンチテーゼや対立軸とは何だったのか?
災害や救助の現場におけるボランティアとは、表舞台のプロである警察や消防や自衛隊の後方支援要員なので、脚光を浴びることはない。
その理由として、ボランティアは日常的に訓練してないからと思われがちだが、それよりも大きな要素としては、手配できる機材や物量の差が圧倒的に違うからだが、今回尾畠さんが赴いた現場では、人海戦術に頼るしか無かったので、頼りになるのは経験と勘だったのだが、経験や"経験に基づく勘"はデータ化し、多くの人で共有するということが簡単ではないので、個人の資質に依存する割合が高くなる。
今回の現場に、尾畠さんが行かなければ、最悪の結果が起き、しかも後の教訓になるものも全く得られなかったかもしれない。
一方、金足農業の場合では、チームのメンバーは全員地元出身で、特に最も個人的資質に依存するピッチャーに関しては予備がない状態だった、一言で言うと選手層が薄いのだ、いや薄すぎたのだ。
尾畠さんも、金足農業も、どちらも、潤沢な予算や資本を背景に活動できる状態ではなかったのだ。
これは、大阪桐蔭の価値を貶めようとしてるのではない。
核兵器や重火器を大量に揃えていても、テロリストを阻止できないことがあるのに似ている。
悪条件が重なると、最後は、人間の資質の差が全てになることがあるのだ。
豊富なリソース(人、モノ、金)を有効活用することが競争に勝利するための秘訣だが、人に依存する割合が高ければ高いほど、ドンデン返しの可能性が高まる。
だから、いつ役に立つかわからないが、自分を高めることを怠ってはいけないという思いを強く思い出させてくれるのだ。
日本全体を覆っている、ビジネスでも受験でも、あらゆる競争の現場で、勝ちたければ潤沢な予算が必要だという流れに逆らう動きに映るのだ。
今の日本では、このお金をかけれる人が強いという風潮の中で、悔しい思いをしてる人が大勢いるはずだ。
そんな人達は、尾畠さんや金足農業に、大きく感情移入したはずで、それが話題につながったと感じている。
今年の夏、多くの人が確かに感じた熱い思いも、秋風とともに冷えていくのだろうが、ほんの一握りだけ、熱い思いを持ち続ける人が出るだろう。
差は、思いを持続できるかどうかだけで付いていく。