違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

クライアントとクレーマー

依頼主をクライアントと呼ぶようになると特別感が出る。

 

依頼されればムチャでもそれを最大限に叶えようとする。

 

まったく弁護の余地がない、反省などまったくしてない犯罪者の言い分を主張しなければいけない弁護士はその代表格。

 

法には則ってるが、弱者を苦しめる依頼もある。

 

主張を展開するのは弁護士でも、それは弁護士個人の主張ではない、むしろその主張内容にはまったく弁護士自身も同意できてない場合も少なくないかもしれない。

 

一方で、技術に関連する世界では、技術者はどんな人間関係性であろうと『できないことはできない』と主張するが、チャレンジ精神がないわけではない。

 

できないことが分かってることに対して報酬が発生することを承ることができないのだ、これは心があるからでもある。

 

技術の世界では、できるかできないかの境目を越える案件は実験という自らの費用負担で挑む領域と捉えることが多い、だからこそ実現できた場合は特許等の権利が主張できるようになる。

 

 

 

 

しかし、世の中には『できなくてもいいからやってくれ』という依頼も存在する。

 

そのような依頼を受けるビジネスでは、もし上手く行ったら成功報酬が発生し、上手く行かない場合は経費のみが発生するが、この経費はかなり高額なので、依頼を受ける側にとっては成功報酬の発生がなくてもビジネスとしては成り立つ。

 

勉強でもスポーツでも自分ごとに関して伸ばしたいことがある場合には誰での一歩一歩着実にと考えるが、これがお金は出すから一気に良い結果を得たい、望む結果に近づきたいと考える場合には、一歩一歩着実にをバカにする、非効率だなだと判断する。

 

 

商品が陳列されてる店で買い物をする場合、店側は客をクライアントとは呼ばないし、お客の側も自分をクライアントなどとは思わない。

 

日本ではいまだにお客様は神様ですなんて表現が罷り通る場合があるが、その場合のお客様はクライアントではなくむしろクレーマーだ。

 

ムチャは言うけど結果に対する報酬は惜しまないクライアントと、ムチャを言い値段を下げさせようとするクレーマーという客の格差も現代の特徴だ。

 

 

クライアントというブルーオーシャンを接客商売は求めるが、実際にはクレーマーというレッドオーシャンばかり、こういうケースが多いはず。

 

 

単価の安い商品で儲けたい場合、客数をこなす必要があるのでレッドオーシャン化する。

 

 

ブルーオーシャンを求めるならば、単価を上げ少ない客数で成り立つことを考えるべき。

 

つまり、客をクライアント化する必要がある。

 

ここでいうクライアントとは、結果に対して報酬を惜しまない人という意味。

 

 

もっと大事なことは、類は友を呼ぶし、朱に交われば赤くなるように、自分がクライアント資質を持ってなければクライアントは寄ってこないということ。

 

 

ましてや自分がクレーマー体質ならば推してしるべしだ。

 

 

そんな泥沼から抜け出したければ強者になるしかない。

 

強者とは何かという定義は、各々が考えることで模範解答などない。

 

一連の詐欺を巡る話もきっとこの構図が当てはまっているはず。

 

 

つまり、強者を目指す場合の落とし穴は、下手すれば弱者のアリ地獄に落ちること。

 

 

これらを踏まえて強者への第一歩を踏み出そう。