ビジネスライクに展開される流れが予定調和的なのは、台本やシナリオの存在が感じられるからだ。
当事者はあまり意識してないかもしれないが、ごく普通のビジネスの場でもシナリオや台本は存在していて、それらの一部は『マニュアル』と呼ばれたり『想定問答』と呼ばれたりしながら私たちの日常に入り込んでいる。
無意識のうちに台本やシナリオやマニュアルを前提にした行動を描くと、臨機応変な対応やいわゆるアドリブを効かせた対応が嫌われることがある、仮にその臨機応変さやアドリブでピンチを切り抜けたとしても。
臨機応変な対応やアドリブが機能したということは、台本やマニュアルが機能しなかったことを意味し、そのことの方が問題だと捉えられるからだ。
テレビのバラエティ番組ですら緻密な台本で作られていて、話がスベるような場合も台本通りだったりで、そのスベりに対するリアクションまで台本に描かれてる場合があるらしい。
そうなると、芸人を含めてテレビ出演者に求められる資質は、台本通りに演じるスキルになる。
視聴者にとっては、面白いか面白く無いかが重要だし、面白さの一つに好き勝手に自由にトークを繰り広げているように見えることがあったりするが、それらも実は台本を忠実に再現してるだけだったりするのだ。
台本を演じる能力よりも上位に位置するのがアドリブ力だと思っていたが、実際にハプニングが起きた場合はアドリブ力は重宝されるが、それ以上にハプニングが起きたことの方が現場では問題にされてしまう、ほとんどの場合ハプニングが起きたように見えてもそれ自体が台本に描かれていることだったりするのだ。。
ところで、事前に台本をキッチリと準備する理由は「心配だから」だろう。
出来上がりの完成形がイメージされてることが全てのスタートで、その完成形に対してスポンサーとの契約も行われているとすれば、台本通りに展開されることは重要なことだし、もっと重要なことはそれが台本通りに展開されてると視聴者に分からせないようにすることでもある。
テレビに出る顔ぶれが固定化される理由はこれらが関係してるだろう。
出演者に求められる能力は、台本通りに振る舞える能力だとすると、実際にコメントしてる内容は自身の意見や考えを述べてるのではなく、台本に書かれてることを言わされてるだけと思った方が的を射てるかもしれない。
こういうことを上手にこなせる人は、芸能人でも知識人や有名人でも一握りになるだろうから顔ぶれが固定化されるし、テレビ局ごとのお抱え状況も感じられる。
日本の中枢は、政治や経済だけでなくエンタメも、台本を中心に動こうとしている。
『歯車の一つになる』という言い回しは少し小バカにするニュアンスがあるが、今風に言えば社畜だろう。
共通点は、都合良く台本通りに動ける人となるだろうか。
こういうのはもう流行らないと思っていたが、現実はそうではないのかもしれない。
最も効率が良いのは、台本通りに展開されることだと考える経営者は増えているのだろう。
臨機応変にアドリブを効かそうとするほど中枢には入れずに外野をウロチョロするだけで存在感をアピールできずに終わるのかもしれない。
台本を描く側は、考慮に入れられることは全部考慮に入れるので、行動に心理が影響すると知れば心理学を研究して取り入れる。
一方アドリブで対処する場合、よほど人間力が高く、その時の体調やタイミングが良ければ、緻密な台本以上のことができることはたまたまだったらあり得るが、再現性は高くは無いはずだ。
人為的なハプニングが求められていないとすれば、人間力を活かしたアドリブ力を発揮しようとすれば、台本が当てはまらない天変地異な出来事の発生が必要になるのかもしれない。
スーパーボランティアの尾畠春夫さんを思い出す。
素晴らしい人で、大いに見習いたいが、社会の中枢が似合う方ではない。
未知のものに向かおうとすることは、一種のハプニングへの対処に似てる気がするが、注意しなければいけないのは、未知に向かってるつもりでいても、そこは誰かが描いた台本上の出来事かもしれないということだ。
現代人は、思ってる以上に台本上を右往左往してるだけかもしれない。
どんな時代でも、アドリブ力や臨機応変さを持っていれば乗り切れると思っていたが、こと日本に関してはまだまだそれは当てはまらないかもしれない。
それでも、個人的にはアドリブ力や臨機応変さを身に付けたい。
だって、そのほうが楽しそうなんだもの!