違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

嫌なことを、断れますか?

嫌な事を断る人と、嫌な事を引き受ける人の違い。

 

嫌な事として何をイメージするかで、全く異なる人間像が浮かぶ。

 

こんな事を思ったのは、この記事がキッカケになったから。

 

広瀬すずCM動画製作だけで4千万円! 五輪ボランティア集めは「国策」〈週刊朝日〉

SNSでは「奴隷募集CMだ」「ボランティアしても、広瀬すずと付き合えるわけじゃないぞ! だまされるな」といった書き込みがあふれた。都にも批判的な意見が来ているという。

 

この記事を見ながら、広瀬すずさんは、このCMのオファーがあった時、個人的にどう思ったのだろうかと考えた。

 

実際の感情は多様なグラデーションを描くだろうが、3種類のパターンが考えられる。

 

・主旨に共感できない

 

・何も考えない

 

・主旨に共感する

 

これとは別に、所属事務所の一員としての立場がある。

 

そして、そもそも女優だから、オファーがあったら、どんな役でもこなせなければいけないと言う立場でもあるが、演じた役が自分自身のイメージに影響することもわかっているだろう。

 

役を演じるためには、積極的な感情移入も必要になるので、主旨に共感できない場合は、別人格を作る必要があるかもしれない。

 

普通の一般人でも、仕事とプライベートの切り分けをすることで、家族には見せたくない姿を、仕事では見せてる人は大勢いるだろう。

 

弁護士などは、かなり割り切った気持ちを持たないと務まらないだろうと想像できる。

 

納得できない気持ちを持ちつつ行動せざるを得ない時、自然と口から出る言葉は、「食うためだから・・・」となる。

 

「食うために」は、いつの時代も、どこの国でも、免罪符として使われる。

 

 

 

嫌な事を引き受ける人であっても、「食うために」と言い訳できる人はまだ幸せかもしれない。

 

 

 

「食うために」ではなく、嫌な事を引き受ける人は、

 

 

 

"断る"ということが起こる時は、同時に"断られる"も起きている。

 

"断られる"を巡っては、新しい動きも出ている。

 

ちょっと変則的な事例になるが、

 

言われる前にけん制? 女性タレントによる自称「BBA」の心理

先にBBAと自ら認めてしまうことで、それ以上は批判させないという自衛効果もある。 

 

 

"断る"には、それなりの勇気や決断が要求されるが、同様に"断られる"にも負の要素が発生するので、前もって"言い訳"(=けん制)を求めるのだ。

 

これらは、昔ながらのようでありながら、新しい動きにも感じられる。

 

Google Trendsで、"断る"、"断らない"、"引き受ける"、"言い訳"を検索可能な2004年以降で比較すると、

 

f:id:chigau-mikata:20180902131202p:plain

 

 

"断る"と"言い訳"は、まるでセットであるかのように増え続けている。

 

この二つのワードは、全国的に検索されてるが、"断らない"と"引き受ける"は都市型のワードだとわかる。

 

f:id:chigau-mikata:20180902131244p:plain

f:id:chigau-mikata:20180902131253p:plain

 

"断らない""引き受ける"の背後には、こんな思いがあるだろう。

 

 

 

"断る"と考えるからハードルが上がるが、「断る=利用しない」と考えれば、ごく当たり前の話になる。

 

 

 

"利用しない"という選択が可能になるためには、他の選択肢をできるだけ多く持つことだ。

 

選択肢が一つしかなければ、依存的な関係になるのはしょうがない。

 

 

断りたいけど断れない人は、選択肢を増やす工夫をすると良い。

 

 

ほんの少しの情報と、ほんのチョットの気持ちの切り替えだけで、選択肢はいくらでも増えるのが今の時代の良いところだ。

 

 

まだ、断れなくて、悩みますか?