違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

本音なのか観測気球なのか、あるいは失言なのか?

本音が出たのか、それとも世間の反応を見るための観測気球だったのか、あるいは単なる失言だったのか。

 

 

 

最近、同じように、真意はどこにあったのだろうかと感じたものにはこんなものもあった。

 

 

 

このように政治がチラつくと、外野は勝手に真意を知ろうとアンテナを広く張るが、単なるゴシップだともう少し範囲を狭めて決めつけようとしたくなる。

 

その分だけイメージが明確になるので波及効果が高くなる。

 

 

 

 

この話題も影響が多方面に及んでいるようだが、その中にはブーメランになってるものもある。

 

 

 

 

オリンピックに話を戻すと、観測気球と思しき話はこれまでも出ていたのだ。

 

 

五輪中止の可能性に言及 「主力国の参加無理なら」―下村自民政調会長  2021年03月04日

「主力国の選手が大量に来られない場合は国際オリンピック委員会(IOC)も考えざるを得ないだろう」

 

 

この話は世間で話題にならなかったような気がするので観測気球にならなかったような気がする。

 

だから第二弾を上げたのかもしれない。

 

 

最近は、観測気球という表現で定着したように感じるが、世論の反応を探る手法は、以前はアドバルーン発言などとも呼ばれていた。

 

似てるようで微妙に違うかもしれないものにオフレコ発言や、『関係筋の話』がある。

 

 

どれも、一つ間違うと爆弾発言や暴露になってしまう。

 

一つ間違う場合の多くは、根回し不足や関係性構築の失敗だ。

 

世代交代などで、それまで受け継がれていた文化が途切れることも関係してるだろう。

 

二階さんの発言が思った以上に波紋を呼んだのは、静かにしかし確実に日本の世代交代あるいは意識交代が進行してることを示してるのかもしれない。