違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

自給自足!?

こんな記事が出ていた。

 

【正論】
大規模国債発行で日本強靱化を 京都大学大学院教授・藤井聡

土木学会では「国難級」の自然災害に対して、最新のデータと技術に基づいて想定され得る最大の巨大地震、巨大高潮、巨大洪水の被害を推計している。その結果、東京の荒川や名古屋の庄内川での巨大洪水の合計被害額はそれぞれ62兆円と25兆円という、東日本大震災に勝るとも劣らぬ水準となった。

東京湾や大阪湾の巨大高潮についてはそれぞれ110兆円と121兆円と、さらにそれらを上回る水準に達する結果であった。

そして極めつきは首都直下地震と南海トラフ地震であり、おのおのの合計被害額は何と778兆円と1410兆円という、大方の想像をはるかに超える超激甚被害となることが示された。

 

 

ここに書いてあることを想像すると、被害を受けた時に、国になんとかしてもらおうとか考えられないことは明らか!

 

だから、そうならないように国土強靭化などと言ってるが、それで災害が防げるというイメージを持てる人がどの位いるだろうか?

 

このような大規模な被災後は、物資の供給などままならないだろうから、廃物を利用して立て直しを図ったり、食料やエネルギーに関しては自給自足という割り切りを各々が持たなければいけなくなるかもしれない。

 

そこで、現在自給自足を意識するとどうなるかを、Twitterを中心にネット上から拾ってみた。

 

Twitterで検索していると、まず気付くのは、自給自足という意味がもはや違った意味として使われているということだ。

 

アニメやファッションやアクセサリーなどで、売ってるものや予め作られたものの中に望むものがない場合に、自作することを自給自足と呼んでいるのだ。

 

しかし、よく考えると、本来の意味での自給自足は世捨て人的だが、新しい使い方には、自分の人生を充実させるというニュアンスが感じられるので、これはこれで悪くないかもしれない。

 

自給自足と言えば、現代ではまずエネルギーだし、エネルギーと言えば電気になる。

 

 

水車は木造で素人の日曜大工で作り、制御系は誰でも入手できる民生用部品を使って、ハードもソフトも自作で安上がりな仕様で何とかやっています。

その最大の特徴として、この規模の水力発電では珍しく、三相誘導モーターを発電機として使用しております。

自作のセンサレスベクトル制御インバータで回生運転しています。

 

 

 

そもそも、ほんとうの意味での自給自足生活とは、

 

 

なるほど、体が大きいってことは、それだけ自給自足から遠ざかった生き方をしてきたということだろう。

 

日本人だったら、自給自足から完全に離脱したのは昭和30年台以降の生活だろうと想像すると、今生きてる人の多くは自給自足をほんとうの意味では理解できないかもしれない。

 

自給自足をイメージすると、アウトドアのキャンプ生活みたいになるかもしれない。

 

 

自給自足の術を身につけるということは、「備えあれば憂いなし」であり、「転ばぬ先の杖」なのだが、実際には事態に直面して初めて目覚める意識でもある。

 

 

現代では、自給自足を意識して生活してる方でも、文明の恩恵を受けているので突然の災害では想定外が起きるようだ。

 

 

こうやって、少し具体的に自給自足を考えようとすると、現代人にはとてつもなくハードルが高いとわかる。

 

であれば、まずは家庭菜園だ。

 

夏の日除けに、昔からアサガオをプランターで育てていたが、5〜6年前からこれをゴーヤに替えた。

 

プランターであっても、そこそこ実がなるので自給自足感が得られる。

 

ゴーヤに関してはいろいろ試したが、安い苗は買わないほうが良い、身が付きにくいので損した気分になるから。

 

他に庭に小さな畑も作ってるが、やると楽しいし、収穫できるとすごく得した気持ちになれるのでおすすめ。

 

今年は植えなかったが、以前ミニトマトを植えた時は、食べきれないくらい収穫できた。

 

家庭菜園を始めると、雨を気にするようになる。

 

晴天ばかり続くと気が気でなくなり、台風でいいから来てほしいと望むようになる。

 

もちろん水やりはするのだが、雨のほうが成長が良いと感じられる。

 

しかし、今年の台風を見てると、来てほしいとは簡単に言えなくなる。

 

 

ハードルは高いが、自給自足やサバイバル能力が必要な時代が始まりだしたかもしれない。