統一教会の問題が再燃したことで再び問題視されているのが洗脳やマインドコントロール。
統一教会に限らないが、強い洗脳やマインドコントロールには大きく二つある。
一つは、暴力や恐怖で相手の心を壊すという方法で、逆らっても無駄だという諦めの気持ちが洗脳やマインドコントロールにつながるというもの、これに関してはこれ以上触れない。
もう一つは、教えや教義を通じて考え方や価値観を根本から変えてしまう方法で、この場合の洗脳やマインドコントロールは、きっかけは誘導だが、最終的には自らの積極的な意思となる。
根本的に変える以前に、まっさらな状態に教え込むというケースもあるだろう。
一般的には洗脳やマインドコントロールなどとは思われてないものに、誤った知識や指導というものがある。
ある程度以上の年齢の方ならば、スポーツをしてる最中の水分補給は良くないと教わり、強く指導された記憶を持ってる人もいるはずだ。
スポーツの場合、発達を促したければ適度な休息が必要だが、休息や休憩は長いこと悪と見做されていた。
このようなことは楽器の練習でも見られる。
レッスンを1日休むと取り返すのに1週間は掛かると指導されると休むことに罪悪感を感じるようになるはず。
正しいとか間違ってるということがよく分からないのに、とりあえずの基準のように、本来は意味のないことに意味や価値を与えたから洗脳的マインドコントロール的なことに発展することは少なくない。
意味があろうとなかろうと、正しかろうが間違ってようが、習慣になってしまうと簡単にはやめられない、それが人間だ。
このような現象は、他の動物で起きるとすれば人間と生活を共にする家畜やペットくらいだろう。
グローバル化は、農業や工業の自国内自給自足を壊した。
多くの国でそういうことが起きたが、国土が大きな国の場合はまだ回復力を持っているかもしれないが、日本の場合はどうだろうか。
最近急速に、世界中でグローバル化の負の反動が起きているように感じられる。
意味があるからと重い価値を与えていた事柄の、意味や価値が揺らぐのは、洗脳やマインドコントロールが解けるようでもある。
全ての人が自分は善だと思っている。
※以下の善は全て自称善。
善なる自分の発する言葉もまた善だ。
善なる自分と対立したり敵対するものは必然的に悪になる。
この傾向がますます強くなってるように感じられる。
その一方で多様化らしい現象も感じられる。
多様化してるように見える分だけ小さく分散し、善と悪の小競り合いが増えているかもしれない。
すべては、無意味なものに勝手に意味や価値を与えるからであり、本来意味があることに意味を感じ取れないことから始まっている。