英語の挨拶や表現には未来に向かうことばが多い。
英語の中で一番好きな挨拶(返答)が「Have a nice day!」です。
— Maiko Kissaka (@kissaka) October 13, 2018
ロンドンの地下鉄駅で重い荷物を運ぶのを手伝ってもらった女性が、助けてくれた人にこう言っていたのがすごく素敵だった。以来、自分もThank you!の後につけるようにしてます。 https://t.co/qUOc8uP2qf
それに対し日本語では、過去(たった今を含め)の出来事に対して向けられる表現が多い気がする。
もらって嬉しい言葉の代表格の「ありがとう」も、未来に向かって発されることばではない。
「良いお年を」は、年末に用いる別れ際の挨拶だが、ことば上は未来に向かって発されてるのだが、あまり未来に向かうイメージがなく、社交辞令にとどまる気がする。
「Have a nice day!」には、ありがとうの意味も込もっているだろう、何よりも積極的に思っていなければ出てこないことばのような気がする。
日本語で、未来に向かうことばを探していたら、こんなことばを思いついた。
さようなら。
このことばは、"今"から未来に向かっている。
日本人は過去に拘り、欧米人は未来に拘る、と対比されることが多い。
日本人は、どうしてこんなに過去に拘るのだろうと、うんざりした経験を持つ方は、日本人にも多いだろう。
意識やメンタリティの違いがその原因だと思っていたし、昔ながらのムラ社会の影響が染み付いているのかなと思っていたが、ただ単純に未来を語ることばが日本語文化に根付いていないからかもしれない。
すぐに謝罪する日本人の姿は、他の国の方からすると不思議に映るようだが、日本人はその姿を、おそらく東洋的だと勘違いしてるが、東洋的ですらないのだ。
すぐ謝るのは、極めて日本的で、もっと言えば日本語的なのだ。
地球規模で意識が未来に向かっている現代では、日本語を使ってるハンデは、未来を語るのにふさわしい言語ではないという点にあるかもしれない。
終わりと始まりは表裏一体だが、横文字で"カウントダウン"と表記されると、始まるまでの時間を待つ儀式となるが、同じ意味の日本語である"秒読み"となると、終了までの残り時間を意味することが多い。
現代のようにオープンな時代になっても、日本語で育った日本人には日本語魂が染み付いていて、自然と未来を語ることが下手になっているかもしれない。
日本語しか話せない日本人は、未来を語るための表現力が不足してることを自覚したほうが良さそうだ。