囚われの身だった安田純平さんが解放された。
良かったなとホッとすると同時に、数々の疑問も出てくる。
日本人だって理解できないよ。 #安田純平 https://t.co/md24QuOBRm
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) October 24, 2018
まずはこの解放がどういうものだったかと言うと、
カタール政府が三億円の身代金を払い、安田純平氏をヌスラ戦線から解放、トルコ領内へ退避させた。この間、日本政府は自国民救出のために動いておらず、カ政府からの事後連絡を受け、解放を知ったのだった。そして「自己責任」を叫ぶネトウヨによる被害者バッシング。こんな国をどうして愛せるだろうか https://t.co/dzPkFxRDuR
— Thoton Akimoto @RIP 大本萌景 (@Thoton) October 24, 2018
安田純平さんについて私が以下のツイートをしてから3年2カ月が経った。カタールが身代金を支払わなかったら、安倍政権のあまりの無責任さゆえに後藤健二さん殺害事件と同じ轍を踏むところだったんだね。https://t.co/OtazWEUn6B
— ジャーナリスト 田中稔 (@minorucchu) October 24, 2018
私達というか私が知っているのは、安田純平さんという名前とマスコミが伝える写真のイメージだけで、ジャーナリストと言われてるが、安田さんが何を伝えたのかは全く知らない。
今回の安田さんの解放を喜んでいるのは報道に携わってる方が多そうなのは、安田さんの活動の持つ意味が分かっているからかもしれないが、一般大衆にとってはその存在価値が分かりにくいのもまた不都合な真実だろう。
ナジーブ・エルカシュ氏「独立性のあるジャーナリストに非常に感謝している。存在は非常に重要。(安田純平さんは)私にとって英雄でもある。だから、日本でバッシングがあることはすごく遺憾に感じる」 #報道1930 pic.twitter.com/tGtVjI4aET
— かまやん (@kama_yam) October 24, 2018
一般的な日本人は、安田純平さんのことをどう思っているのだろうか?
もちろん私もその中に入る典型的な一人だろう。
普通の日本人の中にはこう思う人が多いかもしれない、私は該当した、yahoo知恵袋に寄せられた質問内容は、
拘束されているとされる安田純平について、なにかしらの具体的業績を過去にあげていたのですかね?賞を受けたというけれど、日本の日本人の日常生活には貢献したのかねえ?
賞なんてね、仲間内で持ち回りしているものなのかねえ?
扮装地区に安田が入ることによって、何かしらの業績をあげていたのですかね?
セールスマンなら、歩くだけでは脳がない、能がないとなるのにねえ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10193940075
そもそも危険な場所に日本人が出向く意味があるとすれば、それは日本人のためではないのだ。
BS報道1930 安田純平さんに関連した報道の中で自己責任論に言及した。
— tayutou (@tayutou2013) October 24, 2018
朝日新聞 しりあがり寿氏の
4コマ漫画が「何故ジャーナリストは危険な場所に行くんですか?に答えている。
説得力あり pic.twitter.com/wy6bIkdc07
なんだか「いじめ」の問題と似ている。
日本人は、なぜか「いじめられる側にも原因がある」と考える傾向がある。
だから、いじめられる側の立場に立って考えるということをしない傾向が強い。
戦地や紛争地で虐げられている現地の一般の人の状況を改善させたければ、その状態を現地の一般人と同じ立場で共有し情報を発信するしか無い。
この意味や価値が、現在の日本では理解されづらいのだ。
しかし、安田純平さんには感情移入できない日本人でも、北朝鮮に拉致されてる日本人に思いを馳せれば感情が湧き上がる人は多いはずだ。
違いは、そこに自分の意志があったか無かったかの違いだけだ。
ところで、カタールはなぜ身代金を払ったのか?
実は、そこにあったのは人道対応ではなく、ビジネス対応なのだ。
安田純平さんの身代金300万ドル(3億3700万円)はカタールが支払ったという。先ほどツイートしたように、サウジなど4カ国に断交され孤立しているカタールの狙いは、人道面の貢献で国際的評価を上げ、また日本政府の支援を受けること。サウジが非難されているときに、巧みなカタールの外交戦略である。
— 舛添要一 (@MasuzoeYoichi) October 24, 2018
ここから先は、想像と推理と妄想が蠢く世界が展開されていく。
キーワードとして出てくるのが「人質ビジネス」。
以下引用するのは抑制が効いたものです。
まともな人間だと思い込んでるまともじゃない人間の部類ですよ。
— KINASA(`・ω・´) (@k1nasa0283) October 24, 2018
まず、日本人かどうかも怪しいですし、日本政府は渡航制限をして何度も忠告しています。
命があったことは良かったと思いますが、結局彼一人の行動がテロ組織の資金源になってます。これでは人質ビジネスと揶揄されても仕方ないですよ。
一生のうちに3回も4回?も人質になるなんて、10回輪廻転生してもなかなかない体験。著作が出たら買いたくなるレベルですよ(^_^;)
— 坂東 忠信 (@Japangard) October 24, 2018
昨日から、私は次世代を「アート」というキーワードで捉えたいという気になっている。
昨日紹介した山本豊津さんは、「アートは有用性がないから価値が上がる」と言っている。
この有用性の無さが、次世代のビジネスのキーワードになるならば、人質ビジネスもアートの一環と見ることができるかもしれない。
アートということばは、その語源を遡るとラテン語で、「自然の配置」、「技術」、「資格」、「才能」を意味することばで、決して芸術という狭い世界に特化したことばではない。
同様に、アーティストと言うと、勝手気ままに自分の感性の赴くままに行動するというイメージがあるが、本来は依頼を受けて請け負う立場なのだ、今風に言うならばオーダーメイドに近いだろう。
ところで、今回の安田純平さんの解放劇で、現時点で損をした人や国や機関はあるだろうか?
評判や評価を上げたり下げたりはあるだろうが、しばらくすれば忘れて終わる程度で、実は何もなかったのと同じ結果になっている。
アートと言う目線で見ると、上手な犯罪はビジネスとして機能しそうな気がする。
ルパン三世は、大泥棒ではなく、アーティストだと言えなくもないように。