アメリカ人にとってもどこか遠くのおとぎ話になってるのがアメリカンドリーム。
そんな話を読んだのは2015年頃だったと記憶してる。
そんなアメリカで日本人の大谷翔平さんがアメリカンドリームを実現した。
いや、正確にはまだプロローグに過ぎないのかもしれない。
皮肉や嫌味が好きな私から見ても掛け値なしの素晴らしい話でありスカッとした想いを感じるのは大谷翔平さんの人間性のなせるわざだろう。
しかし、大谷翔平さんは全く関係しないが、ウクライナやガザでは辛い出来事が現在進行形だし、その他世界ではいや日本国内でもわたしが知らないだけの話題にすらならない悲惨だったり辛い出来事は起きてるだろうし、いつ自分の身に降りかかるかも分からない。
脳裏をよぎるのは、
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…
で始まる鴨長明の方丈記の冒頭だ。
61年の鴨長明の人生の20代から30代にかけて、平安時代の五代厄災と言われる
「安元(あんげん)の大火」、
「治承(じしょう)の辻風」、
「福原遷都」、
「養和の飢饉」、
「元暦(げんりゃく)の大地震」
を経験したからこそ生まれたのが方丈記だと言われている。
地震や台風の発生する理由もそのメカニズムもわからない時代の話だ。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…
というのは時間や運命や人間関係を示してるようでもあり、その他のことにも当てはまりそうだ。
さて、冒頭部分は有名な方丈記は鴨長明が達観したからこそ書けたとも言われるが、そのラストは迷いに満ちているような文で締め括られている。
そもそも、一期の月影傾きて、余算の山の端に近し。
たちまち三途の闇に向はんとす。
何の業をかかこたんとする。
仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて、執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、とがとす。閑寂に着(じゃく)するも、障りなるべし。
いかが、要(よう)なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。
解釈には諸説あるし、その中には鴨長明が書いたことを疑うものまである。
自信があろうと無かろうと何が起こるかわからないのが人生だし、達観してるようでも迷える子羊なのだ所詮人間は。
きっと大谷翔平さんも迷いながら生きているのだ、ただ迷い方は凡人とは違うかもしれないが。