検索には人の性格や価値観が反映されると共に、何を知りたいかで検索の仕方や方法にも違いが出てくる。
例えば食事をするための店を選ぶ場合、検索して知りたいことには、どこにどんな店があるかを場所や地域で絞り込む検索がある。
その他に、
料理の種類や価格で絞り込む検索があり、
その店の料理は美味しいのかや満足できるかということの検索もあり、
さらに、
お店の雰囲気や店員の質はどうなのかなど、その店選びに対してそれなりのこだわりがある場合には、他人から見たらどうでもいいようなことが気になる人は大勢いるはずだ。
何が気になるかで、検索の仕方を現代人は使い分けることが当たり前になっているだろう。
そういう使い分けをしてる時、知らず知らずのうちにその情報を誰が発してるかを気にするようになる。
・店が発する情報
・料理の専門家が発する情報
・お店や料理をランキング化する口コミサイトに集まる情報
これ以外にもあるが、上にあげたものは発信者はビジネスとして情報を発しているが、最近はこれらの情報はそもそも検索してる人達が本当に知りたいことに答えるものではないと思われるようになっている。
そこで、店を使ったことがある一般のエンドユーザーが発する情報を求めるようになる。
そうすると、検索対象としてブログやTwitterのようにオープンに展開されるSNSが急浮上する。
収集した情報をどのように活用するかは今も昔も自己責任が原則だが、ビジネスとして発されている情報であれば、内容に偽りがあれば発信者にクレームを付けることができる、その結果がどうなるかは不明だが。
しかし、ビジネスとは無関係に発される情報に関しては内容に偽りがあっても「見解の相違」で終わるだろう。
ステマやフェイクニュースは、オープンに展開され発信される情報の負の側面で、名もない個人のふりをしたビジネス発信だったりする。
これに騙されないようにするためには、発信してる人がどういう人かを知る必要がある。
実生活の場では、こういう場合は個人を特定できることにつながるが、ネット上ではそこまでは必要ない。
そのアカウントで、これまでどういう情報が発されてるかを知るだけで、どういう属性の人でどういう価値観の持ち主かはだいたい見えてくる。
人間は瞬間的なウソはいくらでも吐けるが、継続的につじつまを合わせるのは基本不可能だからだ。
最近私は、検索する際にTwitterを使うことが非常に増えた。
ニュースや報道を見るだけでは真実が見えないと感じるからだ。
そのニュースや報道を意識の高い人がどのように捉えてるかの方が真実の姿を浮かび上がらせるように感じられる。
興味ある発言をする人がいた場合、過去のツイートは必ず見る。
人間の行動や発言には一定の振幅がある。
その振幅の範囲で発言が変化するのは自然なことだが、その振幅を超える反応をする場合は、人生観を変えるだけの出来事があったことになるが、その気配がうかがえないような場合は違和感が拭えなくなる。
そういうことを考慮に入れても、そのツイートだけが浮いてる場合は、そのツイートは見なかったことにしている。
私は最近ブログに他の方のツイートを埋め込むことが増えたが、似たようなことを考えていても他人の言葉には力を感じるからだ。
そんな時には「三人寄れば文殊の知恵」を私は感じてる。
もちろん若干の独りよがりになってることも意識してるが、大事なことは、個人(実名匿名関係無く)が発する情報の価値がビジネスライクに発される情報よりも上位に位置するようになったということだ。
新年を迎えると、この傾向はますます強くなるはずだ。