違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

口は『同じ』や『似てる』が好き!?

意識的に気を付けていないと、同じような食事(おやつ等含む)を繰り返すことがある。

 

無意識に近い行動で選ぶ場合は、好きや興味が動機になりやすい。

 

意識的に選ぶ場合は、健康や体調を意識したり、最近では筋肉を意識したりということが動機として多い。

 

 

動機としては、『好き』よりも『目的や目標など具体的なこと』の方が強さは上回る気がする、その目的や目標が健康やダイエットであろうと病気の治療のためであろうとも。

 

 

 

口は、食べ物にとっては入り口だが、ことばにとっては出口。

 

食べ物の場合は、『好き』にこだわるというのは入り口にこだわることを意味する。

 

『目的や目標』にこだわるというのは、体の中に入った後どのようになるかにこだわることを意味する。

 

食べたものは、食べなかったことにはできない。

 

 

口には食べ物の入り口以外に、ことばの出口としての役割がある。

 

 

ことばには、反射的な反応で出ることばと、考えた後で発することばがある。

 

どのようなことばであれ、発されたことばは無かったことにはできなくなる。

 

 

食べ物に好き嫌いがあるように、ことばにも好き嫌いがあっても不思議ではないが、ことばは好き嫌いで発しているという自覚はあまり持っていない。

 

ことばは考えて(=目的や目標を持って)発してるつもりになっていることが多い。

 

 

しかしたまには、考えて言ってるつもりのことばが「なんか違うな」と思えることもある。

 

 

色んな事を考えながら生きてるつもりでも、人間は変化する生き物ではあるけれど、自分という生き方を長年していると、いつも似たようなことや同じことを考えたり思ったりすることが多いことに気付く。

 

 

わたし達は日常生活の中で、情報を内容で判断してるつもりになってるが、コミュニケーションで情報を処理する場合は、情報の内容以外に、相手が以前に言ってたこととの整合性の有無に振り回されることがある。

 

 

言ってることが同じであることは、信頼性につながる場合があるかと思えば、いつも同じことばかり言っていてつまらないと思われることもある。

 

 

 

そんな「発されたことば」に関する語録をTwitterから探してみると、

 

 

 

 

 

 

 

 

口を出口とすることばは、一旦出てしまうと独り歩きをするように思えるが、誰が言ったかによっては同じことばでもその意味が全く違う受け止めをされることは珍しい事ではない。

 

 

 

情報は、内容だけでなく、誰が言ったか、誰が伝えたかで、その価値が変わるのが世間だ。

 

 

 

口を入り口にする食べ物の選び方や、口を出口にすることばの選び方を見ていると、『好き』に反応することから始まり、その後で『同じ』を求めるという傾向があるように感じられる。

 

 

表面的には多様化が進み、違いをアピールすることが増えているが、その裏で『同じ』や『似てる』の価値も上がっているかもしれない!