違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

Twitter検索は、良い相棒!

ほんの一握りの賢いと称される人々のことばよりも、ごく普通の人なんだけど切れ味が良かったりタイミングの良い一言の方がありがたみを増してるような気がする。

 

さらにありがたいことには、そういうことばの一部が検索可能なことだ。

 

Twiter検索には、そういう編集前のナマの言葉が持つ力が宿ってることが多い。

 

わたしにとってのTwitter検索は、現代版の『三人寄れば文殊の知恵』なのだ。

 

少し考えてることがあって、うまく気持ちがまとまらなかったのでTwitterを検索すると分かりやすく表現してるツイートがあった、しかも5年も前に。

 

 

 

「潜在と顕在」の境目に興味があるのだが、この両者が「欲」と結びつく「需要」には、そんな境目の謎が分かりやすく隠れていると感じられる。

 

「欲」に限定して話をすると、潜在してるものが顕在するためには気付きが必要になる。

 

気付きは、考えを積み重ねた上に生じるような印象があるが、その前段階に発想を飛躍させるキッカケがある場合がほとんどだ。

 

そんなキッカケは、高邁な所ではなく、その人なりの何気ない日常に潜んでいる。

 

・知人のことば

 

・風景や自然

 

何かに気付くというのは、一種の物理作用に似ている。

 

だとすれば、作用反作用の関係が成立しているはずだ。

 

先ほど引用したツイートがキッカケで閃いたのが、「気付く」と作用反作用の関係にあるのは「啓蒙」かもしれない、だ。

 

『啓蒙』とは、辞書的には「無知な人を教え導く」という意味だが、言語明瞭意味不明の典型でもある。

 

相手が結果的に気付かなければ、それは啓蒙ではなくただのお節介に過ぎない。

 

いろいろ調べると、『啓蒙』は現代では差別用語になっていて『啓発』ということばが好まれるらしいが、使われ方は変わっていなくて多くの場合、教えてるつもりの側の一方通行になっている。

 

正しい使い方は、気付いた(気付かされた)側が、「啓蒙(啓発)された」と使うもので、「啓蒙(啓発)した」側には主導権が無いと考える方が相応しいはずだ。

 

 

「潜在と顕在」でもう一つ面白いツイートがあった。

 

 

この説によると、啓蒙や啓発には2種類あることがわかる。

 

自分自身にとっての気付きと、自分と他者との関係性の中での気付き。

 

その違いに気付かないと、共感に関して極端な反応の違いに遭遇するだろう。

 

他者の目線を意識しないと独り善がりだとdisられ、他者の目線を意識すると普遍的だと評価される。

 

 

最近の印象に残る啓蒙啓発といえばこれかもしれない。

 

 

日産自動車はけっこうおもしろいアピールをしていたことが分かる。

 

去年の日産で思い出すのは、大坂なおみにGTーRをプレゼントしたこととゴーンさん事件だけだったので、この辺でもう一回「猫バンバン」啓蒙啓発を打ち出せばイメージ好転に繋がりそうな気がする。

 

 

啓蒙啓発って未来に向かうようで実は過去が問われると感じる。

 

だから求められるのは『信頼と実績』。

 

気持ちはわからないでも無いが、やっぱりこれは矛盾だろう。

 

 

Twitter検索の面白いところは、良い発言は素直に受け入れ易いところにあるので、気付きの宝庫だ。

 

もちろん注意点はたくさんあるが、そんな時は「三人寄れば文殊の知恵」だと思い出そう。

 

そこに複数の知恵が込められてるかが感じられるかどうか。

 

Twitter上には良い発言も悪い発言もあるが、それが独り言の類ならば一般的には、「独り言で嘘は言わない」!

 

そう考えるとTwitter検索はかなり使える相棒だ!