違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『楽観主義』>『選民思想や優越感』!

受験シーズンも最終の時期に差し掛かってるが、多くの人は合格は誰でもは出来ないが、受験は誰でも出来ると思っているだろう。

 

しかし、受験に受験資格が設けられてる場合、受験すること自体にハードルが課されることになる。

 

 

 

人生100年時代などと言われる現代でも、『年齢制限』という足切りが生きている、これは日本だけだろうか?

 

 

年齢制限以外にも、何のために設けられているのか今となっては意味不明な、受験資格と言うよりも受験制限と呼んだ方が相応しそうな設定がある。

 

 

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何のために受験資格という入り口よりも手前に別の門を設けるのか?

 

そんな動きをおかしいと改める動きもある。

 

 

受験資格を緩くすることで難易度が上がるということは質が上がることを意味すると思われるので歓迎できそうな一方で、受験資格の設定に排除の意図が見えると、利権狙いの伏魔殿化を感じる。

 

 

当事者には大きな出来事でも、無関係な大多数の人にはどうでも良い話にしか感じないかもしれない。

 

小さな変化を重く深刻に捉えるか、それとも誤差みたいなものだと無視するか?

 

前者は悲観的と言われ、後者は楽観的と言われる。

 

世の中には、門戸を閉ざす分野と、門戸を開放する分野の二種類がある。

 

質の高さと勘違いするのが、競争率の高さ。

 

難関をくぐり抜けた方が優秀だと思いがちだが、難関をくぐることで疲弊したり、組織や権力に迎合しやすい傾向があるという特徴を持つ。

 

悲観的にものごとを捉えがちな人が、「自分は選ばれた!」と思える時に、陥りがちなのが『選民思想』だ。

 

 

 

歴史の教科書で覚えた選民思想、ウィキペディアでは選民となっているが、元は宗教が背景にある思想だが、もっとざっくり悩みを抱えて生きてる人に便利で都合が良い思想なのだ。

 

選ばれた側にいるという自覚がある人々には、文字どうり「自分たちはワケあって選ばれた」と自尊心を高め、今現在選ばれてるという自覚がない人々には、「自分たちはこれから選ばれるんだ」と慰めることができる。

 

どちらも、根底に悲観主義があり、悲観主義は常に優越感を求めているようだ。

 

一定のハードル(試練)を乗り越えることで身につく選民思想は、良いこと(幸せ)だけでなく、悪いこと(不幸)へ導く力も強い。

 

「わたしは選ばれた、だから運が巡って来る」と思ってしまいやすくなるのだろう。

 

 

 

 

海上保安庁内で詐欺的投資横行か OBら勧誘、若手退職者相次ぐ

投資を決めた職員らは公務員の肩書で消費者金融から数百万円の借り入れをするなどして資金を調達。セミナーで退職を促されるなどし、実際に辞めて勧誘に回るケースがあるという。

 

 

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海保が金融庁に確認したところ、この投資運用団体は金融商品取引業の登録を受けていなかった。海保側は詐欺的な商法の恐れがあるとして、昨年10月に全国の管区本部など各所属に注意喚起。

 

 

 

選民思想に囚われた悲観主義者は、権力者に利用されやすくなるが、選ばれたという思いが、利用されてるという事実をオブラートに包むので、利用されてるということにすら気付かないこともある。

 

選民思想には自己肯定感を高める作用があるので、利用されていても、自ら能動的に行動していると感じてしまう。

 

一方で、楽観主義者にとっては選民思想などどうでも良いとしか思っていないのだが、そんな楽観主義者が支配する側や、権力を持つ側に位置すると、悲観主義者をコントロールする際に選民思想は都合の良さが出てくる。

 

そして、悲観主義者は反対の価値観である楽観主義に活路を見出そうとはせずに、『優越感』を求めて彷徨うことが多くなる。

 

 

 

 

 

受験資格や年齢制限など、思わぬところで不意に仕掛けられたハードルに戸惑うことがあるが、そういう時に何を感じ、どのように振る舞うかで分かる人間性がある。

 

選ばれているという優越感が無いと、心の安定が保てない人が増えている。

 

 

生きることは危機管理の連続、だからこのことばが深い意味を持つ。

 

 

 

 

選民思想や優越感よりも楽観主義の使いこなしを身に付ける方が大事!