違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『大部屋or個室』どちらが好き?

隠れた需要というのはどこに存在してるのか分からない。

 

しかし、目ざとい供給者が現れると需要は一気に顕在化するので、その後はどこで嗅ぎつけるのかと不思議に感じるが、砂糖に群がる蟻のようになる。

 

そんな隠れた需要の一つがプライバシー。

 

わたしが自分の部屋を与えてもらったのが小学6年生、3歳下の妹が3年生の時で、そのために父が自宅を増築してくれた。

 

今では当たり前な子供部屋が決して当たり前ではなかった頃を知っている身としては、プライバシーの原点は個室に宿るんだなと改めて感じられる。

 

悪いことをしてなくても見られたくないことはあるが、それは見られないようにすることが可能であるから生じる感情のはずだ。

 

自然界では天敵を持つ生き物がいる、そういう生き物が天敵から身を隠すことはプライバシーではない。

 

プライバシーとは、人間だけが持つ人格に基づく感情だと言える。

 

 

 

現代では、プライバシーは権利として確立しているので、見られたくない、知られたくないという感情に応える市場(マーケット)が存在するが、行動が多様化した現代ではプライバシーに関するニーズに応えているというよりも、個別で特殊なニーズに応える別のものに見えてることがある。

 

こんなことを考えるキッカケになったのが次のツイート。

 

 

 

隠れてコソコソ行動する際に便利な言い訳がプライバシーだが、その行動の奥に潜む心情に目を向けると、実に人間らしい悲哀が感じられる、これはこれでエコシステムとして機能してることが感じられる。

 

しかし、一般的にはプライバシーへの要求が高まるほどコストも高くなる。

 

だから、ビジネスと相性が良くなる。

 

 

今では当然の権利として確立しているプライバシーが、まだ存在しなかった頃、プライバシーはどうやって生まれたのだろうか?

 

次のような流れは当たらずとも遠からずだろう。

 

 

 

 

現代人にとってプライバシーは守られて当然で、マズローの欲求5段階で言うと一番下層の生理的欲求だと感じがちだが、プライバシーの普及は3段階目の安全の欲求がクリアされた上に成り立つものだと分かる。

 

つまり、プライバシーとは平和と安全が成り立っていないと成立しないので、決して有って当たり前のものではないと理解する必要がある。

 

 

当たり前でないものには、コストを掛けてでも欲しいと言う需要が潜在的に存在することになる。

 

 

 

プライバシーを守ることは閉ざされたクローズドなイメージがあるが、これからの時代には、テクノロジーとセットでオープンな環境下でのプライバシーという需要が顕在化するかもしれない。

 

 

「プライバシー=個室」という図式は、快適性に向かっていると思っていたが、現代社会ではこの分野にも生産性が顔を出すようだ。

 

 

生産性には、協力度も含まれるようだ。

 

 

今まで考えもしなかった新しい人間の分類の尺度があるようだ。

 

  1. 個室でバリバリ頑張る
  2. 個室でまったり過ごす
  3. 大部屋でバリバリ頑張る
  4. 大部屋でまったり過ごす

 

さて、皆さんはどのタイプ?