変化を余儀なくされることには大きく二種類ある。
一つは天変地異や大災害。
最近の日本にとっては東日本大震災が上げられるし、最近頻発する自然災害は、日本人の生き方や考え方に大きな影響を与えているだろう。
そして、もう一つは人為的に起こされる革命的なこと。
最近起きた革命的なことにはどんなものがあるだろうか?
起きた出来事が革命的であるならば、その前後で大きな変化が生じるはずだ。
江戸から明治へは国の統治機構がひっくり返ったのだから時代の激変だったかも知れんが、昭和から平成になったことは社会に大きな変化をもたらしたという事実はないだろう。戦前と戦後、インターネット前と後の方が革命的な変化だったと思う。
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) March 1, 2019
インターネットの何が革命的だったかというと、従来は情報の発信は権力を持っている機関や立場にのみ許されていたのに、インターネットは権力の有無に関係なく情報発信を可能にしたことだと言われる。
今となっては、あって当たり前のインターネットだが、登場した時は特別なものとして登場した。
プラットフォームが先にできたものの常で、コンテンツが追いつかない状態からのスタートになるので、コンテンツ自体が胡散臭い低レベルなものも多いので、インターネットが革命だとは気付かない人が多かっただろうし、わたしもそんな一人だった。
しかしインターネットは、それまで出来なかったことを出来るようにさせて行ったので、振り返ると短期間にいろんなことが変化した。
ごく普通の個人の生き方に与えた影響をTwitterから拾ってみると、
多くの人は30年、40年後の人生を見据えてキャリアを決めなさいと言う。
— 孫弥 (@SonmiChina) November 21, 2018
でも、アジアで国民国家が成立したのは僅か約100年前、その前は狭義の「国家」すら存在していなかった。インターネットが普及したのは30年前。スマホが登場したのはわずか10年前。これらはどれも世界を大きく変えてしまった。
そんな変化には、良いことも悪いこともある。
ここのところ思っていた疑問は「本当にインターネットは日本の文化を豊かにしたのか?」でした。私は1970年生まれでインターネットが一般に普及する前と後を知っている世代です。一般に急速に普及していく1990年代後半にはさまざまな夢をみてました。そのせいもあり、どうしてもバイアスがかかります。
— Shigeru Kobayashi (@kotobuki) June 10, 2018
変化に気付くタイミングにはズレが生じることと、変化後一定期間が過ぎると変化前を知らない人も出てくるので、変化後の状況の認識にも違いやズレが生じる。
7年前の自分のtweet。
— 様 式美 (@yoshikibi) November 13, 2017
20年前(1997年)のインターネットが、20年後の現在よりも楽しかった要因って何だろうなぁ〜、と振り返ると、当時の自分の狭い日常では考えられないくらい、未知の世界や人々とのつながることができた様々な出会いが強烈な原体験だったんだろうな。 https://t.co/Xgzwb0aEBT
初期段階の変化を実感できることが、大きな高揚感につながるということが上記のツイートからは伺えるが、わたし自身はこの初期の変化には全く乗り損ねていたので、20世紀は最後尾に位置していたかもしれない。
わたしのような人のことを説明するツイートが次。
インターネットが「PCを趣味にしない」人の前に現れたのが1995年、一般化するのにかかったのはそれから2〜3年、PCを手元に持たない人が当たり前のようにインターネットの恩恵を受けるようになったのは、たぶん2000年より後だと思うよ。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) November 25, 2017
このツイートを見ると、わたしはPCは持っていたので最後尾の一歩手前だったかもしれないと思える。
まあでも、1995年以降(インターネットの本格的な普及後)とそれ以前、或いは1998年辺りから後と前、もっと言うと21世紀と20世紀の間辺りより後の常識とそれ以前の常識を比べると、「賢くなくても情報は得られそうなものを」が通じる通じないの断絶はあるかもしんないなあ。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) July 7, 2018
インターネットは、情報の価値を変化させたのだ。
つまり、パラダイムシフトが起きていたのだが、ことばで言うほどダイナミックなものではなかったのかもしれない。
20年前、インターネット調査を世に出した時、「誰がこんな調査使うか」と東大の教授などに罵倒された。しかし現在調査市場アドホック調査の61%はインターネット調査。教育での革新は20年後どう評価されるか。#インフィニティ国際学院
— Masaki Otani (@MasakiOtani1) October 30, 2018
しかし、誰もが変化に気付いた時に動き始めても、それでは波に乗り遅れているのだ。
10数年ほど前には否定する人が多かった、ネット販売で街の本屋さんや家電量販店の店舗営業が苦しくなり、閉店を強いられるとの話が現実化した今、調剤薬局もインターネット服薬指導や医薬品配達の規制緩和で、調剤薬局の無店舗営業が常識になり、10数年後には倒産する調剤薬局が増えるのだろうね。
— ニートたけし (@takeshi_army) October 6, 2018
波に乗り遅れたら、享受できるのは「便利」だけかもしれないが、「便利」は諸刃の剣でもある。
「便利」は時として、趣味としての奥の深さを損ね、楽しさの賞味期限を短くすることもある。
むかしはお気に入りのアーティストを発見したら、音源映像探したり資料漁ったりで数か月はどっぷりハマったものだけど、インターネットのおかげでマイブームは数十分単位で過ぎていくようになった、なにもかもあっというまに満腹になるし、掘った末に見出す意外な補助線にも驚かなくなったね。
— 高木壮太 (@TakagiSota) March 3, 2019
趣味や関心の対象は増やしたかもしれないが、その賞味期限は短くなっているかもしれない、インターネット以前には間違いなく存在していた一生かけて取り組むライフワークという存在は今はあるのだろうか?
「テクノロジーの移り変わりには慣性が働いている」、ケヴィン・ケリーは著書〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則でそう言っている。
今インターネットを取り巻く世界で起きていることは、その慣性の力が起こしているのかもしれない。
インターネットとは、ディスプレイを介して人(個人、法人、組織などあらゆる形態を含む)と人がコンテンツでつながること。
そんなつながりの慣性力は、どのように作用してるだろうか?
インターネットの延長線上に登場したブロックチェーンや仮想通貨とはなんだったのだろうか?
鳴り物入りで登場したブロックチェーンや仮想通貨はあっと言う間に失速したように見えるが、そんな動きと歩調を合わせるように顕在化している動きがある。
ダウンロード違法化の次は(ヨーロッパで議論されている)リンクの違法化と、インターネットで得られるメリットを大きく損なう法制度を作っていきそうで非常に危ない。
— dynamis (でゅなみす) (@dynamitter) February 19, 2019
フェアユースの法制度すらない日本で厳格な違法化を広げるのはとても危険に思うので是非止めて欲しい。 https://t.co/QtBEHUgnGh
ダウンロード違法化拡大の問題は、文化や産業の問題もあるけど、政策の「適正手続」という政治的な問題も大きいのではないだろうか。文化庁が委員会の意見を反映していない報告書を作成し、与党に対する説明資料も1人の賛成意見を4つに分割して反対より賛成が多く水増し。ありえない。
— 水野 祐 Tasuku Mizuno 🙊 (@TasukuMizuno) February 26, 2019
詳細は下記の記事を参考に。
「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判 朝日新聞
こうやって見てくると、テクノロジーに働く慣性には正と負の両方があることが分かる。
インターネットが普及して約20年、ここに来て反テクノロジー派(既存の権力)が抵抗し始めているように見えてくる。
さて、どうなるのか?