違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

革命的な変化の前と後(インターネット)

変化を余儀なくされることには大きく二種類ある。

 

一つは天変地異や大災害。

 

最近の日本にとっては東日本大震災が上げられるし、最近頻発する自然災害は、日本人の生き方や考え方に大きな影響を与えているだろう。

 

そして、もう一つは人為的に起こされる革命的なこと。

 

最近起きた革命的なことにはどんなものがあるだろうか?

 

起きた出来事が革命的であるならば、その前後で大きな変化が生じるはずだ。

 

 

インターネットの何が革命的だったかというと、従来は情報の発信は権力を持っている機関や立場にのみ許されていたのに、インターネットは権力の有無に関係なく情報発信を可能にしたことだと言われる。

 

今となっては、あって当たり前のインターネットだが、登場した時は特別なものとして登場した。

 

プラットフォームが先にできたものの常で、コンテンツが追いつかない状態からのスタートになるので、コンテンツ自体が胡散臭い低レベルなものも多いので、インターネットが革命だとは気付かない人が多かっただろうし、わたしもそんな一人だった。

 

しかしインターネットは、それまで出来なかったことを出来るようにさせて行ったので、振り返ると短期間にいろんなことが変化した。

 

ごく普通の個人の生き方に与えた影響をTwitterから拾ってみると、

 

 

そんな変化には、良いことも悪いこともある。

 

 

変化に気付くタイミングにはズレが生じることと、変化後一定期間が過ぎると変化前を知らない人も出てくるので、変化後の状況の認識にも違いやズレが生じる。

 

 

初期段階の変化を実感できることが、大きな高揚感につながるということが上記のツイートからは伺えるが、わたし自身はこの初期の変化には全く乗り損ねていたので、20世紀は最後尾に位置していたかもしれない。

 

わたしのような人のことを説明するツイートが次。

 

 

このツイートを見ると、わたしはPCは持っていたので最後尾の一歩手前だったかもしれないと思える。

 

 

インターネットは、情報の価値を変化させたのだ。

 

つまり、パラダイムシフトが起きていたのだが、ことばで言うほどダイナミックなものではなかったのかもしれない。

 

 

しかし、誰もが変化に気付いた時に動き始めても、それでは波に乗り遅れているのだ。

 

 

波に乗り遅れたら、享受できるのは「便利」だけかもしれないが、「便利」は諸刃の剣でもある。

 

「便利」は時として、趣味としての奥の深さを損ね、楽しさの賞味期限を短くすることもある。

 

 

趣味や関心の対象は増やしたかもしれないが、その賞味期限は短くなっているかもしれない、インターネット以前には間違いなく存在していた一生かけて取り組むライフワークという存在は今はあるのだろうか?

 

 

「テクノロジーの移り変わりには慣性が働いている」、ケヴィン・ケリーは著書〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則でそう言っている。

 

 

 

今インターネットを取り巻く世界で起きていることは、その慣性の力が起こしているのかもしれない。

 

インターネットとは、ディスプレイを介して人(個人、法人、組織などあらゆる形態を含む)と人がコンテンツでつながること。

 

そんなつながりの慣性力は、どのように作用してるだろうか?

 

インターネットの延長線上に登場したブロックチェーンや仮想通貨とはなんだったのだろうか?

 

鳴り物入りで登場したブロックチェーンや仮想通貨はあっと言う間に失速したように見えるが、そんな動きと歩調を合わせるように顕在化している動きがある。

 

 

 

詳細は下記の記事を参考に。

 

「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判   朝日新聞     

 

 

こうやって見てくると、テクノロジーに働く慣性には正と負の両方があることが分かる。

 

インターネットが普及して約20年、ここに来て反テクノロジー派(既存の権力)が抵抗し始めているように見えてくる。

 

さて、どうなるのか?