イノベーションの対義語は保守(メンテナンス)だと書いてあるものを見た。
明確な対義関係にあるとは感じないがニュアンスとして近いのは理解できる。
それよりもイノベーションの対義として相応しいのはトヨタの生産方式であるカイゼンの方が近いような気がした。
日本最強の企業であるトヨタのカイゼンとはもちろん改善のこと。
記憶では21世紀に入るか入らないかの頃、世界の生産の現場のお手本として紹介されていたのがトヨタ方式で、カイゼンというワードはその響きのまま世界標準となったかのようだった。
興味深い記事が出ていた。
ウーブン・シティよ、どこへいく? ――トヨタが描いた壮大な夢のしまい方
ウーブン・シティ構想は当初、自治体や名だたる企業と手を携えて、長年操業を続けた工場跡地を活用し、モビリティーを使って社会課題の解決に取り組むという気概に満ちたものだったと受け止めている。
当初の社名にあるプラネット(惑星)は自ら光を発する恒星があってこそ輝く天体のことで、人間を主役にした街づくり構想にふさわしい名だった。
しかし、今現在のウーブン・シティは街ではなく、テストコースという位置づけだ。
トヨタ流のイノベーションへのチャレンジだったが、アプローチの仕方はカイゼンの手法だった、そんな印象だ。
しかし、どちらであっても行き詰まる時は行き詰まるのだ。
トヨタのウーブン・シティ構想が発表されて3年8ヶ月だが、そもそもの始まりはさらに4年前。
ここに来てトーンダウンしたようでもあり、コンセプト自体が変化したようでもある。
どちらであっても、それなりに時間を掛けたからこその変化だとすると仕方ないことなのだろう。
自動車メーカーとしてカイゼンで成功したかもしれないが、未来の街づくりは手に負えないのかもしれないし、そもそも営利企業には無理なテーマだったのかもしれない。
インターネットの普及と冗長性は、システム作りを通信企業に請け負わせなかったから実現できたとされることを思い出す。
営利企業が街づくりや国づくりを中心となって考えることには無理があるのかもしれない。
同じプラットフォームを使うことが前提ならば、カイゼンは有効な手法だろうが、その効果はというと限界に向かって漸近線を描くだけで進化すればするほど費用対効果は悪くなる一方のはず。
イノベーションがカイゼンでは望めない領域や全く違う領域を望む場合は、プラットフォームは全く新規にならざるを得ない。
人間そのものにはイノベーションは起こらず、カイゼンの範囲でしか行動できないかもしれないが、新たなプラットフォームに適応する能力は備えている。
イノベーションは人間の外側で起きるものであり、人間にできるのは適応することだけ。
カイゼンは、人間の行動のアウトプットとして計測されるが、実態は人間の内側の意識の変化によってもたらされる。
2010年トヨタとテスラが提携した。
提携が解消されたのは2016年。
この提携でテスラが得たものが多かったことはその後の活躍が示している、一方トヨタはテスラの成長性に気付けず得たものがなかったと言われている。
カイゼン意識などまるで無かったテスラがカイゼンを知ったことはとても大きな成果だったが、カイゼンの積み重ねしか知らないトヨタにはイノベーションは理解できなかったということだろう。
より良い状態を実現するという目的は同じだとしても、イノベーションとカイゼンは対義関係にあり、イノベーションが求められる時にはカイゼンでは役不足で、カイゼンが最大限に効果を発揮してるタイミングではイノベーションは求められてない。
イノベーションとカイゼンの対義関係には、必要とされるタイミングも含まれそうだ。