世の中にはさまざまな情報が飛び交っている。
そんな情報にはタグが付けられる。
- 真実
- ウソ
- 作り話
- 誤解(間違って伝わった話)
- 少しずつズレて伝わった話(伝言ゲームのように)
しかし、このタグ付けは、真実との対比ができて初めてできることなので、真実ではないことを真実だと思い込んでしまうと、自分が真実だと思い込んでることを疑うことをしなくなる。
こうして、世の中には複数の真実が存在するようになる。
現代人にとって地球は球体であるというのは、あまりにも当たり前の真実で疑いようがないと思っているかもしれないが、現在、地球は平面だと信じる人が急増中なのだ。
こんだけ証拠が積み上がってるのに地球平面説信じちゃう人が多いってこれなんというか、そりゃ反ワクチンデマとかみんな余裕で騙されるよね感ある…… / “「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は...... | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフ…” https://t.co/pqNkGrPbVV
— (Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS (@koshian) March 9, 2019
どうやらYouTube上の動画がキッカケでこの現象は起きてるらしいが、上記で分類したタグで言うならば“ウソ”や“作り話”に相当するのだろうが、動画を作った人の意図はどこにあったのだろうか?
情報を発信するという立場に立って考えると、ウソや作り話はエンターテインメントとしては脚本の腕の見せ所でもあり、作り話なのに信じる人がいたということは脚本家としては素晴らしいことだ。
しかし、真実に対するウソと位置付けると、途端に非難の対象とされてしまう。
だから、YouTubeは2019年1月25日に地球平面説を唱える動画は推奨対象から除外すると発表している。
情報には、その情報が生まれた現場がある。
その現場には、現場で起きた出来事とそれに関わった当事者がいる。
この現場で起きたことが、1次情報となる。
世間一般では、この当事者に対する取材も1次情報として扱われているが、私に言わせれば取材は1.5次情報となり、又聞きである2次情報よりは信ぴょう性は高いが1次情報に加工が施されていると見るべきだと考える。
また、当事者が自ら発信する場合でも、そこに形容詞が用いられれば、もはや1次情報ではなくなると思える。
このように考えると、世の中に出回ってる情報には、1次情報はほとんど無いことになる。
現在、世の中に出回る情報で1次情報とされているのは、情報の種類や質に対して使われているのではなく、発信者が持っている権力や地位や立場に対してあてがわれている肩書きのようなものだと言える。
最近、世間の意識高い人々が、「1次情報以外を信用するな」と言い始めているような気がする。
しかし、出回っている情報のほとんどが2次情報(自称1次を含む)以下だとするならば一定のリテラシーが求められる。
どんな情報に反応するかは個性が関係する、だから自分のアンテナに引っかかることの反対側に何があるかが重要になる。
本当は、周辺全部に目が向くことが望ましいが、せめて反対側を知ることは習慣付けた方が良いはずだ。
1次情報の重要性を説く声が多いと言うことは情報の取捨選択の基本として語られ始めたのだろうが、そのことが1次情報の過大評価につながれば、その次の段階として2次情報以下の情報を1次情報に仕立て上げるということが起きるだろうし、すでに起きているし、むしろ古典的と言った方が良いかもしれない。
ウソが不幸を招く時、そこにはウソの1次情報化が仕掛けられている。
日本人だったら聞いたことがあるだろう『大本営発表』。
そして世界的にはヒトラーが有名だ。
ヒトラーの大衆扇動術
- 大衆は愚か者である。
- 同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。
- 共通の敵を作り大衆を団結させよ。
- 敵の悪を拡大して伝え、大衆を怒らせろ。
- 人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。
- 大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
- 利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。
- 貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。
- 都合の悪い情報を一切与えるな。都合のよい情報を拡大して伝えよ。
- 宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚・聴覚を刺激して、感性で圧倒しろ。
盲目的に1次情報を過大評価するタイプの人は、支配者や権力者がもっともカモにしやすい人種だと言える。
逆にいうと、1次情報の重要性をアピールする人は、主張する内容には大きな間違いは無くても、メンタリティには警戒した方が良いかもしれない。