時々思い出すのがヒトラーの大衆扇動術で、世の中で起きてる出来事に当てはめている。
- 大衆は愚か者である。
- 同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。
- 共通の敵を作り大衆を団結させよ。
- 敵の悪を拡大して伝え、大衆を怒らせろ。
- 人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。
- 大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
- 利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。
- 貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。
- 都合の悪い情報を一切与えるな。都合のよい情報を拡大して伝えよ。
- 宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚・聴覚を刺激して、感性で圧倒しろ。
東京オリンピックに当てはめてみた。
記憶を頼りに思い起こしても、コロナ前の東京オリンピックには開催反対派が過半数を越えるようなネガティブな要素はなかった、不満な点はいくつもあったが。
東日本大震災からの復興と掲げた割には被災地が蔑ろにされたり、電通や電通と組んでる企業や組織だけが儲けを独占するかのような構図には不満が大きかったが、開催反対派が多数になることにはほど遠かった。
オリンピックに関する心配事としては、大会終了後の景気の落ち込みを心配する声はあっても、オリンピックそのものを危惧する声は感じられなかった。
むしろ、オリンピック後に景気が落ち込むならその前に出来るだけ儲けなければと、期待する方が強かったくらいだろう。
上記の大衆扇動術に照らし合わせると、共通の敵がいなかったと言えそうだ。
しかし、コロナが登場したことで事態が一変した。
一見、共通の敵をコロナだと勘違いしそうになるが、開催を望まない声が過半数を越えるに至った最大の理由はIOC(国際オリンピック委員会)及びバッハ会長にある。
IOCの手先となっているかのような日本の政治家や元政治家の存在がキッカケで背後に君臨するその姿が炙り出されたとも言えそうだ。
開催反対派の共通の敵としてIOC及びバッハ会長が認識されたことで一気に怒りの矛先がそちらに向かったのだ。
命や健康の問題だと感じてる人が多いのに、契約に基づく権利や義務の問題にすり替えられることに対する不満が怒りにつながったのだ。
人によって感じ方には違いがあるかもしれないが、わたしには大衆扇動術の要素がことごとく当てはまっているように感じられる。
気になるのは、意図的にそのように導かれたのか、それともたまたまそうなっただけなのか、という点だ。
似たようなことを大坂なおみの件でも感じるのだ。
ただ、こちらはまだ事態が流動的で、利害関係にある者や企業や組織が互いに自分に都合が良くなるように情報を発信し合ってる段階で、もう少し事態の推移を見守る必要がある。
選手、スポンサー、大会主催者、マスコミやメディア、という四者に加えて、傍観する大衆という五者が共同で総合芸術を創ろうとしている最中なのだ。
こんなこと、AIにはとても真似が出来ない芸当に思えてくる。