合わないタイプの人間同士というのはどこにでもいるが、対等の関係であれば問題はない。
しかし、この合わないタイプ同士が、上下関係、主従関係、師弟関係、その他家族関係を含め現実的には決して対等とは言えない様々な関係性の中に置かれるとドラマが起きる。
あまり昔に遡っても仕方がないので、現代の日本を舞台にした話に限定すると、人間関係の前に組織論がある。
おもしろいブログがあった。
ブログ記事紹介:組織論はエグザイルとSMAPの違いでよくわかる https://t.co/4kkzyBxkL8#組織論 #グループ論 pic.twitter.com/kOyyHkl7EA
— ideacompo (@ideacompo) March 18, 2019
エグザイルは、中の人が入れ替わってもエグザイルとして成り立つが、SMAPは、すでに解散してしまっているが、5人が誰と入れ替わっても成り立たなかった。
そもそもの人数が違うので、おおければ1人辺りのウェイトが違うからなのか?
それぞれの役割が明確になっている必要があるのか?
これは、人数の多いアイドル集団においても言える事だが、
人数で一個人あたりの役割が薄まっていることはまちがいない。
ここで見えてくる組織論は、日本特有のガラパゴス感が漂う気がする。
上記の引用を補足してるであろう箇所も引用すると、
ここで重要なのは、組織とは、人から成り立ってしまうと、属人化した組織となり、変化に弱い存在となってしまいます。
逆に属人化する事を極力無くし、誰でもできる状態に持って行く事ができれば、組織は中の人が入れ替わっても変わらないクオリティを維持する事が可能になる。
組織論をわかりやすく考える時に、エグザイルをイメージするといろいろなことが分かりやすくなる。
同じ理屈は大人数のグループ、例えばAKB系列などにも当てはまるのだろうが、エグザイルは男性グループであるからより一層分かりやすい。
ワイルドでヤンチャなノリを振りまきながらも、
- 礼儀正しく挨拶をする
- 苦労を共にした仲間を大事にし共に歩む
- 「信じて頑張る」という浪花節
- 体(心も)を鍛える
と、昔のヤクザの任侠道を感じさせながらも全く違う組織論が貫かれている。
組織がきちんと機能する時には、社員やメンバーが自然と活躍できる仕組みが成り立っているのだが、外から見てると社員やメンバーが過剰に頑張ってるから達成できているように見える。
だからこそ、未だに根性がもてはやされる。
根性は、短時間ならば有効に機能するかもしれないが、長時間課されるとストレスにしかならない。
現代社会にあるストレスは、長時間課され続けたことが大元にあることが多い。
自分自身が動機をはっきり自覚できていて行う行動が、悪い意味でのストレスになることはほとんどない。
悪い意味でのストレスが起きるときは、外から動機を押し付けられる時で、これは根性を求められることと全く同じだ。
絶対的なエースが存在する組織は、エースに依存する体質になり、やがて変化に対応できなくなる可能性が高くなる。
一方、全員がそれなりに機能する場合には特定の社員やメンバーへの依存の度合いが少ないので変化への柔軟性が高い。
問題は、エース不在でかつそれなりの機能を果たすのがごく一部という場合の組織で、そんな時には根性論が噴出する。
根性論が出るということは良くないサインだが、一瞬だけ機能する場合があるので消えずに残っている。
組織のあり方を前向きに考えているのは、両極端なホワイト企業とブラック企業で、その中間に位置する大多数の企業は単なる前例踏襲か、コンサルを含めた誰かに丸投げが多いだろう。
組織のあり方を前向きに考えてるホワイト企業は、動機やモチベーションを重視する組織論を展開し、ブラック企業は、恐怖やストレスを課すことで動機やモチベーションを形成しようとしている。
結果論になるだろうが、良い組織に所属できれば実力以上の能力が発揮できることは珍しくないだろうし、悪い組織に属すれば心と身体を病んでしまう。
ここで言う良い悪いとは、やってることや商品のことではなく、組織のあり方だけを取り上げている。
人間には所属の欲求というものがあるが、悪い組織に所属するのは麻薬に手を染めるようなものかもしれない。
もし、ストレスが多いならば、所属している組織は良くない可能性が大だ。