現代のキーワードの一つが『もっともっと』。
実際には現代のキーワードというよりも、今生きてる人の多くが物心ついた頃からずっと囚われてる価値観だろう。
欲しいものや実現したいことに際限がない場合にも当てはまるが、そのためにする努力や頑張りにも当てはめることが多い。
結果的に、もっともっとを求める場合は、『何かが足りない、不足してるのは何だ?』を追い求めることになる。
もう少しビジネスライクに表現すると、過去の投資が十分なパフォーマンスを上げなかったのは何故だ?、となりそうだ。
十分なパフォーマンスが得られないのは、投資が不足しているから、梃子の働きが弱いから、タイミングを間違ったから、などと思ってしまうと、もっともっとに陥っていく。
悩ましいのは、もっともっとはシンプルな王道に感じられるし、そういう事例はたくさんあるからだ。
もっともっとに勤しむ人は、世間では真面目で勤勉だと言われると同時に『結果が出ない人』『要領が悪い人』と呼ばれたりもすると同時にカモと呼ばれることも多い。
もっともっとは現在進行形。
もっともっとの対義は、現在進行形を止めることになる。
投資の世界では、儲かってるタイミングで止めることは利益確定になり、損してるタイミングでは損切りになる。
開催するのか中止にするのかが問われる東京オリンピックだが、どちらにしても議論のテーマは利益確定というよりも損切りのはず。
しかし、ここに来て一部で再延期という選択肢も聞こえてきて、その理由として組織委員会の存続期間が張られた伏線ではないかと考えられてるらしいのだ。
橋本聖子会長、五輪組織委は来年6月まで存続と明かす 2021年4月23日
組織委は大会後も会計など残務処理で存続するのが慣例だが、東京大会の組織委の解散時期が明示されたのは初めて。
根性論が全盛の時代だと勝つまで諦めるなという話は美談として語られていた。
つまり損切りとは、もっともっとを止めることと、勝つことを諦めることに見えるのだ。
オリンピックのように次がいつなのか描けないような場合は尚更だろう。
しかし、目に見えない何かと繋がっているならば別の扉が開くこともあるはず。
損切りを、勝つことを諦めると捉えるか、次に勝つために諦めると捉えるかで印象はまるで違ってくる。
損切りのスタイルには、人生の美学が現れる!