エンターテインメント(以下エンタメと略す)は『娯楽』と訳され遊びの別称で、仕事や勉強の反対側に位置付けられることが多い。
エンタメとは、おもしろくて楽しいこと。
おもしろくて楽しいことは、エンタメ。
仕事や勉強を中心とした日常生活が『主』だとすると、エンタメは『従』だという先入観を持つ場合が多い。
エンタメに関しては、圧倒的に大多数がエンタメを享受する側であるので、エンタメを提供する側の心理や発想を理解できないことが多かった。
エンタメを提供する側とは、情報を発信することとほぼ同じ意味を持つということに多くの人が気付いたのは、誰もが情報を発信できるようになってからであり、発信のためのアプリやサービスなどのプラットフォームが充実してからだろう。
子供の頃から、読書感想文を書かされることすら苦痛でしょうがなかったわたしですらこうやってブログを書くようになったのは、書かされるという受け身の行動には感じられない楽しさが自ら能動的に行動することにはあるからだ。
そのように考えると、能動的に行動することはすべてエンタメと化し、受け身で行動することは、強制される行動が持つ不快感があるように感じられる。
知らないことを知ることが楽しくてしてる勉強と、良い成績を取るためだけにしてる勉強では、取った点数が同じだとしても、意味するものも、その生き方も全く違ったものになる。
仕事だって、好きでやってる人と、嫌々やってる人は、上げてる成績や会社からの評価が似ていても、全く違った生き方をしてるだろう。
能動的な行動が、すべてエンタメ化につながるとしても、その中身は両極端に違うことがあるという意味で、この分野も格差が生まれている。
仕事であれ遊びや趣味であれ、情報の発信の切り口に見られる格差は、
- 褒める ⇔ 貶す、disる
- 肯定 ⇔ 否定
- 理解許容 ⇔ 誤解拒絶
- 美点長所 ⇔ 欠点短所
- 譲り合い ⇔ マウンティング
いろいろな切り口はあるが、どの切り口でもそこに能動性があればエンタメ化するのだ。
どの切口を多用するかは、発信者の個性やキャラクターを強く表すことにつながる。
つまり、エンタメにも正と負があり、それぞれ0から無限大までグラデーションを描くだろう。
次のツイートとそのリプライには、さまざまなエンタメの世界観が表現されている。
朝日の投書
— FLATLAND1884 (@FLATLAND1884) March 12, 2019
「世界では餓死や気候変動が多発、日本は多額の借金を背負い、貧困と格差が広がるなか、税金を無駄遣いするエンターテイメントに過ぎないはやぶさ2に正義はない!
科学が戦争や公害、格差を生み出してきた!」
マジか…
これを一応インテリである大学教員が書いてるというのが驚き。 pic.twitter.com/lqMItLXtHS
バクチや投資の世界を含めて、人々が鬩(せめ)ぎ合う合う世界では何より大事なのが相場感覚。
相場感覚とは、経験を通して身につく知恵であり、知識や理屈と現実のギャップを埋め合わせるもので、決して価格や値段のことにとどまった話ではない。
すべてがエンタメ化した現代だが、エンタメにも必要な相場感覚というのがあるはずだ。
世間でよくある炎上は、相場感覚が間違っているから起こるものと、相場感覚が正しいから起こるものがある。
不思議な出来事も数回続けば、独自の相場感覚が出来上がる。
人はある時より「クソな能力」が身につくと思ってて、今は「肝心なときばかり遅刻してしまう能力」がしんどい。「公共トイレにいくと清掃員のおばちゃんと高確率で遭遇してしまう能力」と「レジに並ぶと隣の列が急スピードになる能力」と並んで3大クソ能力と呼んでる。皆さんのクソ能力はなんですか。
— カツセマサヒコ (@katsuse_m) April 14, 2019
相場感覚が身につくと、活かしどころがどこなのかが分かるようになる。
マイナーであることは弱点ではなく特徴の一つ!活かす殺すも自分次第と思い、この前婚活バーに行った時「土地家屋調査士って知ってる?今日は調査士という資格だけでも覚えて帰って下さい」と言ったら、とりあえずひと笑い取れたし、複数と連絡先交換しても絶対忘れないと言われたのでお薦めw
— 土地家屋調査士受験生Aの報告的ツイート (@chosasibenkyo) April 10, 2019
相場感覚が高く鋭くなると、素晴らしくても手を出せないということもある。
東野圭吾原作と聞くとなぜか期待と同じくらい諦めも入り混じった感情になる。原作は基本的に全部めっちゃ面白いのに、活かすも殺すも本当に監督や演出次第なのはなんでだろ…?みなさんのおすすめ映像化東野圭吾作品あればぜひ教えてください!私が好きな東野圭吾映画は容疑者Xの献身と麒麟の翼です。 pic.twitter.com/C3jJG6A7NQ
— れい@映画ドラマ (@sumireira_ufo) April 7, 2019
相場感覚には、コストとクオリティの二つの要素が関係する。
コストとクオリティを天秤にかけることは、完成度を取るか妥協するかの選択でもある。
デジタル導入したからって絵が上手くなる訳じゃないけどデジタル導入すると妥協できなくなる あらゆることが可能だから 結果的に完成度が高くなる気がする デジタルで下書きしてて思った これはアナログではできない
— 一之江 (@p27763922) April 11, 2019
デジタル化が、少ないコストでクオリティを高めることを可能にしたが、それは平均レベルを高めることには貢献したが、完成度と妥協の格差はアナログ時代よりも広がっている。
相場感覚が高く鋭い人は、クオリティに目を向けるだろうが、クオリティ自体も質的に変化してるはず。
クオリティは高いほど良いと思いがちで、クオリティが高いことを完成度が高いと評価しがちだが、従来妥協と言われていたことが必要十分という評価を受ける方向に向かっているのが現代だ。
今静かに妥協ということばが死語になりつつあるような気がする、そして代わりに必要十分という価値観が広まり出しているように、相場感覚も時代とともに質的な変化を遂げているように感じられる。