違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『相場感覚』が問われるエンタメ化する現代!

エンターテインメント(以下エンタメと略す)は『娯楽』と訳され遊びの別称で、仕事や勉強の反対側に位置付けられることが多い。

 

エンタメとは、おもしろくて楽しいこと。

 

おもしろくて楽しいことは、エンタメ。

 

 

仕事や勉強を中心とした日常生活が『主』だとすると、エンタメは『従』だという先入観を持つ場合が多い。

 

エンタメに関しては、圧倒的に大多数がエンタメを享受する側であるので、エンタメを提供する側の心理や発想を理解できないことが多かった。

 

 

エンタメを提供する側とは、情報を発信することとほぼ同じ意味を持つということに多くの人が気付いたのは、誰もが情報を発信できるようになってからであり、発信のためのアプリやサービスなどのプラットフォームが充実してからだろう。

 

子供の頃から、読書感想文を書かされることすら苦痛でしょうがなかったわたしですらこうやってブログを書くようになったのは、書かされるという受け身の行動には感じられない楽しさが自ら能動的に行動することにはあるからだ。

 

そのように考えると、能動的に行動することはすべてエンタメと化し、受け身で行動することは、強制される行動が持つ不快感があるように感じられる。

 

知らないことを知ることが楽しくてしてる勉強と、良い成績を取るためだけにしてる勉強では、取った点数が同じだとしても、意味するものも、その生き方も全く違ったものになる。

 

仕事だって、好きでやってる人と、嫌々やってる人は、上げてる成績や会社からの評価が似ていても、全く違った生き方をしてるだろう。

 

 

能動的な行動が、すべてエンタメ化につながるとしても、その中身は両極端に違うことがあるという意味で、この分野も格差が生まれている。

 

 

仕事であれ遊びや趣味であれ、情報の発信の切り口に見られる格差は、

 

  • 褒める      ⇔    貶す、disる

 

  • 肯定         ⇔    否定

 

  • 理解許容   ⇔    誤解拒絶

 

  • 美点長所   ⇔    欠点短所

 

  • 譲り合い   ⇔    マウンティング

 

いろいろな切り口はあるが、どの切り口でもそこに能動性があればエンタメ化するのだ。

 

どの切口を多用するかは、発信者の個性やキャラクターを強く表すことにつながる。

 

つまり、エンタメにも正と負があり、それぞれ0から無限大までグラデーションを描くだろう。

 

次のツイートとそのリプライには、さまざまなエンタメの世界観が表現されている。

 

 

『税金を無駄遣いするエンターテインメント』という投書の画像

 

バクチや投資の世界を含めて、人々が鬩(せめ)ぎ合う合う世界では何より大事なのが相場感覚。

 

相場感覚とは、経験を通して身につく知恵であり、知識や理屈と現実のギャップを埋め合わせるもので、決して価格や値段のことにとどまった話ではない。

 

すべてがエンタメ化した現代だが、エンタメにも必要な相場感覚というのがあるはずだ。

 

世間でよくある炎上は、相場感覚が間違っているから起こるものと、相場感覚が正しいから起こるものがある。

 

 

不思議な出来事も数回続けば、独自の相場感覚が出来上がる。

 

 

相場感覚が身につくと、活かしどころがどこなのかが分かるようになる。

 

 

相場感覚が高く鋭くなると、素晴らしくても手を出せないということもある。

 

 

相場感覚には、コストとクオリティの二つの要素が関係する。

 

コストとクオリティを天秤にかけることは、完成度を取るか妥協するかの選択でもある。

 

 

デジタル化が、少ないコストでクオリティを高めることを可能にしたが、それは平均レベルを高めることには貢献したが、完成度と妥協の格差はアナログ時代よりも広がっている。

 

相場感覚が高く鋭い人は、クオリティに目を向けるだろうが、クオリティ自体も質的に変化してるはず。

 

クオリティは高いほど良いと思いがちで、クオリティが高いことを完成度が高いと評価しがちだが、従来妥協と言われていたことが必要十分という評価を受ける方向に向かっているのが現代だ。

 

今静かに妥協ということばが死語になりつつあるような気がする、そして代わりに必要十分という価値観が広まり出しているように、相場感覚も時代とともに質的な変化を遂げているように感じられる。