違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『妥協』の反対語は『止揚』!

少し長い前置きから始めると、

 

 

競争しないで戦うためには、ニッチ以外に取る戦略として、

 

 

・ライバルに、やりたくないと思わせる

 

・ライバルに、やれないと思わせる

 

 

この二つが揃うと、競争しない戦いができる。

 

この「やりたくない」「やれない」には質と量やコストが関わってくる。

 

ニッチの場合と似てるが、ニッチは市場規模が小さく偏っているためにやる価値が無いと判断されるのに対し、「やりたくない」「やれない」は、コストがかかり過ぎるや、技術的に無理、あるいは、これまでやってきたことと辻褄が合わなくなる、などという課題がハードルになる。

 

女性誌の分野で豪華な付録を武器に売り上げNo. 1を獲得した宝島社が取った戦略は、「本を読まない人に本を買わせる」ということだった。

 

従来の出版業界は愛読者を増やすことにエネルギーを注ぎ競争していたが、宝島社はその競争には参加せず、読まない人をターゲットにしたのだ。

 

 

宝島社では、流通できるもので賞味期限の無いものはすべて書籍として取り扱い可能という独自の価値観を持っている。

 

競争しない戦い方は、「出る杭は打たれない」に通じるものがありそうだ。

 

ファッションの世界では、若さをアピールしたり、若作りを強調するなど、競って戦うことが定番だったが、まだまだ発展途上かもしれないが、競わないで戦うことが男女とも始まっている。

 

 

 

ファッションの世界で競争しない戦い方の一つは、年齢相応を受け入れるということのようで、一旦受け入れるとストレスが大きく減るだろうことが想像できる。

 

以上は、ライバルを参入させない、参入したくないと思わせるための戦略だったが、他にはコバンザメのように強調協力関係を作ることで敵対したり競争しないという戦略があるが、この戦略は楽しそうだとは思えないので追求しない。

 

ビジネスにおける戦いとは売り上げや利益を上げることとされてるが、では売り上げや利益が上がるだけで満足できるかと言うと、必ずしもそうとは言えない。

 

満足できない場合、その理由の一つとして『妥協』が関係してるような気がする。

 

 

競争しないという考え方は、どこか『妥協』を連想させる。

 

妥協というのは、意見や利害が対立するときに「間を取って歩み寄ること」だが、その際に声の小さい方が譲る度合いが大きくなることが多いのでネガティブな響きを感じる。

 

ビジネスに関して、売り上げや利益を上げるためになにかを諦めたり我慢してるとすれば、そこに妥協が存在したと思ってしまう。

 

だから、妥協は良いことではないように感じがちだ。

 

 

 

では、『妥協』の反対語は何かと言うと、馴染みのあることばとしては該当するものがないのだ。

 

古き良き日本語には、その辺の概念が無かったのかもしれない。

 

このような場合は、合理的言語とされる欧米系のことばの訳語に答えが見つかることが多い。

 

『妥協』に関しても、本来の意味に照らし合わせると『止揚(しよう)』というのが見つかる。

 

これはドイツ語の「Aufheben」の訳語だとされるように元の考え方が日本語にはないのだ。

 

 

    • あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
    • 矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。

    という二つの意味を有する。

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/止揚

     

 

 

 

そう言えばと思い出すのが、

 

 

なんだか聞き覚えがあるなと思ったが、小池知事が使っていたのだ。

 

そんなアウフヘーベン(=止揚)を上手に説明してるツイートがあった。(画像はテレビみたいだが)

 

 

 

アウフヘーベンを説明する画像

 

この画像を見ると、『止揚』(=アウフヘーベン)がお互いの公倍数という高みを目指すのに対し、『妥協』は公約数で我慢するという関係に近いニュアンスを感じる。

 

 

自分で思いついた考えだが、今まで考えたことがなかった。

 

自分一人で自己満足のためにやってるつもりのブログですら、どこかで読者を想定していれば、相手が存在することになる。

 

分かりやすく伝わるためには、お互いがシンクロする必要がある。

 

伝わっていれば、シンクロする何かがあったということだ。

 

そのためには、公約数や公倍数のような関係が必要かもしれない。

 

自然と、読者との公約数を目指すのか、それとも公倍数を目指すのかという取捨選択が常に繰り返されていることになる、そんなつもりが有ろうと無かろうと。

 

 

なんとなく妥協は良いことではないような先入観が出来上がってるが、シンクロしてるのであれば良いも悪いもない。

 

 

競争しない戦いとは、相手(=お客)とシンクロすることかもしれない。

 

このエントリーを書き始めた時には全く思ってもいなかったことが結論になってしまった。

 

 

これが、ブログの楽しさだと改めて思える!