現代は競争社会だと言われる。
何を競争してるかと言うと、「選んでもらう」「選ばれる」「選ばせる」という競争だ。
選ばれなければゼロというのが競争社会の真実。
満点を取ることも0点を取ることも難しいテストの世界とは大違いで、競争社会では最も多いのが0点を取る人達だ。
競争社会では、選ばれなければ0点だが、選ばれたからと言って満点なわけではない。
実に不思議な世界観だが、これは『競争』ということばの言語明瞭だが意味不明なところに由来しそうだ。
競争ということばは、反対語があるのか無いのかが分かりにくいことも意味不明さを助長する。
ネット上やTwitter上を検索すると競争の反対語として上がってることばで「なるほど」と思えたことばに、
- 自由
- 創造
- 独占
などがあった。
競争とは、
- 参加資格で縛る
- (参加資格を得た後は)ルールで縛る
- 審査基準で縛る
などのことによって成立するゲームだとすると、確かに「自由」ではないし、「創造」も制限されたものになりそうだし、「独占」とはそもそも競争原理が働かないから成立するので、いずれのことばも競争の反対語として頷ける。
ところで、競争が起きている現場では何が起きているのだろうか?
競争には二種類ある。
合法的な競争と非合法な競争。
合法的な競争の世界にはスポーツマンシップに似た「勝って驕らず、負けて腐らず」な価値観が機能する余地があるが、非合法な世界ではなんでもアリだ。
どちらの場合も競争で疲弊する時は、相手の顔色を伺っている時だ。
ルールや審査基準が厳格で明確な場合は、他の競争参加者の顔色を伺い、ルールや審査基準が明確でない場合は、他の競争参加者だけでなく審査者の顔色も伺うことになる。
非合法な世界では相手の顔色の伺い方も一味も二味も違った凄みを見せる、先日NHKで放送された『半グレ』。
NHKスペシャル「半グレ 反社会勢力の実像」引き込まれる。半グレ組織で働き、女性を罠に嵌め風俗店で働かせる犯罪行為をしていた大学生のコメント「(半グレの組織にいると)PDCAをちゃんと回せる」「成長できる」。ここでも〈自己啓発〉が蔓延する。新自由主義だ。https://t.co/EKMrelSptG
— 稲松 (@humanworld_kuri) July 27, 2019
半グレ集団、末端の構成員も京大や関関同立レベルの一流大出身者が多く、「PDCA」という単語がサラッと出てきたり、被害者への同情も無く、この経験を活かして大企業に勤めたいと述べているし、他人の苦痛への共感が一切無い、「意識高い系」の極致のような存在であると感想を持った。
— 藤★野 (@toyadaisho) July 27, 2019
以前から、結果を出す冷徹な経営者的な資質として重要なのが「サイコパス気質」だと心理学者や脳科学者が言っているが、その裾野が確実に広がっている。
サイコパス気質が競争を好み、自由や創造性を求めることは競争することに対するアンチテーゼなのかもしれない。
被害者は、なぜかジョーカーを引いてしまう(=選んでしまう)。
「選んでもらう」「選ばれる」「選ばせる」という判断がなされるということは、何を選ばないかを決めることでもある。
すべての発端が「選んでもらう」「選ばれる」「選ばせる」にあるとするならば、考えるべきは『選ばない』ということ。
選択の誤りは典型的な後悔の原因だが、多くの場合選択時に悪い予感を伴っている。
『選ばない』ことが一概に良いことだとは思わないが、『選ばない』という選択肢があることは決して忘れてはいけない!