統計データが今ひとつピンとこないのは母数が大き過ぎるからだろう。
例えば『格差』をテーマにした場合、格差が大きい者同士(=離れ過ぎている者同士)はおそらく人生で接点ができない、生活レベルや交際する人の範囲が全く重ならないからだ。
そのような場合、自然と相手は存在しないことになる。
母数が大きい統計に現れるデータが今ひとつピンとこないのはそのせいだ。
そのような場合は、母数を小さな単位に置き換えると一気にリアリティが増し、そこに『格差』が関係してれば、格差の持つ残酷性が迫ってくることが分かる。
多くの日本人が格差を話題にする場合、ほとんどは収入の多寡だが、見え方が変わると収入の多寡などどうでも良いことに思えてくる。
そんな価値観の変化を与えてくれたのが2001年に出版されたこの本だ。
その後数種の続編が出ているが、統計から隠れた真実を読み解く場合は母数を変化させることが有効だと教えてくれた名作だ。
誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう
その村には…
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性で
48人が男性です
70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人たちで
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人は今生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そして1人だけがコンピューターを所有しています
この本では、世界の人が100人の村だったらと考えているが、日本人にとっては、日本が100人の村だったらと考えてみると新しい気付きが生まれるということだ。
日本人の人口が約1億2000万人として、総数を100人に置き換えると1人というのは実際には120万人に相当するので、100人に1人に該当してる人の多くは自分がひとりぼっちの存在だとは感じていないかもしれない。
働かざる者食うべからず
これは、働く≒肉体労働の時代のことば。
2012年の調査に次のようなものがある。
肉体労働は男性ですら6%に過ぎない。(2012年)
最近の低賃金労働が嫌われる風潮に対して『働かざる者食うべからず』という考え方を振りかざす人の声は未だに大きいが、労働に対する価値観は大きく変わっていて、価値観が違う人同士がお互いの人生で全く接点を持たないようになっていると考えた方がしっくりくる。
結果的にいろいろな分野で格差が広がってるように見えるが、目に付くのは結果ばかりで、その原因には目が向かない。
原因として考えられるのは、すべての大元に価値観の格差があるのだ。
そして、価値観が違い過ぎると、仕事を含めて生活に共通点が全く無くなる。
統計データ等でその存在は知っていても、その存在にリアリティは感じてないだろう、お互いに。
実生活で接点が無く、持ってる価値観が違う場合、お互いにいないのと同じ状態になる。
わたしには一つ生き方に反省がある。
タバコが嫌いで、タバコを吸わないのに、タバコを避けた生き方が最近になるまでできなかった。
日本の喫煙率は21世紀になって大きく下がっているし、喫煙者数も下がっている。
http://www.garbagenews.net/archives/2182215.html
喫煙率の低下を伝えるニュースを見るたびに、いつもどこの話だろうと感じていた。
4年ほど前に入院したことがキッカケで、タバコを避けるという大義名分が立ったことで付き合い方を変えたことで、タバコに関する環境が激変した。
喫煙者がわたしに寄って来なくなった。
代わりに、非喫煙者とのつながりが増え、喫煙者でも吸い方にすごく配慮する方だけが付き合いが続いてる。
この4年で付き合う顔ぶれが大きく変わったのだが、切れた人間関係に全く未練がないことが不思議に感じられるが、それだけ喫煙者との付き合いはストレスだったのだろう。
統計等のデータを、自分の身近な生活に分かりやすく置き換える工夫をした方が良いだろう。
違和感には、きっと理由があるはずだ!