おもしろい話があった。
理解型と納得型について、 https://t.co/IQgK7WdRvW
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) May 12, 2019
こんにちは。知財屋と言います(40代男性会社員です)。
理解型と納得型について、茂木さんはどのように思われますか?
予備校講師の方が書かれたある本に、以下のような記載がありました。
理解型は、教室で授業を受ける時や、参考書を読むとき、すべてを頭から正しいものと受けとめ、肯定的に理解しようとする。
「そもそも数学という教科は、誰か知らぬが頭のいい人間がつくったものであって、教科の内部は構造的に整合性があり、必ず問題に対する答えはある」と無意識の内に考える。
一方、納得型は、以下であるそうです。
一つ一つの事柄に対して、納得出来ないと気が済まない。授業中に疑問点があれば質問する。問題が解けないと、そこで膠着してしまってなかなか先に進めない。
前者はいわゆる成績のいい学生に多く、先生からの受けもいい。後者は、成績が振るわないことが多い、との記載もありました。
この話を読んで、主題とは違うことを考え始めた。
しかし、その前にザックリ理解型と納得型の違いを整理すると、以下のようになると感じている。
理解型は、正解が存在するという前提で物事を捉え、
納得型は、因果関係や相関関係など個別の理由を知りたがる。
どちらであっても、グラデーションを描くように程度の違いがある。
わたしは納得型の典型だと思っている、ついでに言えば納得できないことにはモチベーションが湧かないので要領が悪いと言えるだろう。
さて、理解型と納得型で思い浮かんだことが“若さと老い”についてだ。
“若さと老い”というテーマの場合は、価値観の対立軸は年齢や健康(病気)になるのが一般的。
“若さと老い”は、それについて考える際の自分の年齢や健康状態で、気になる内容が変化するが、時間は不可逆であることを考えると、若さに過剰な反応をすることはあまり賢明ではなさそうに感じられる。
この“若さと老い”というテーマこそ、理解型と納得型の差が出るような気がする。
理解型の人は、基本的には老いを受け入れ逆らわないようにするが、それは肉体の内面の話であって、化粧美容整形など外見に関しては手っ取り早く効果が得られることを選択する傾向が強くなりそうだ。
これに対し納得型の人は、肉体の内面の老化に抵抗し、年齢に関係なく自分が納得できる体の動きを手に入れようと頑張る傾向が出る。
納得型の人は、外見は内面と連動するもであり、直接意識するのは内面になりがちだ。
理解型と納得型は、どちらが良かったり正しいというものではなく個性の一種のようなものだが、水と油のような関係で、お互いに合わない可能性が高い。
同様に誰しもが同じように望むのが幸せだが、幸せとは何かに対する考え方は、理解型と納得型では全く違ったことをイメージしてるはずだ。
理解型の人は、誰でも分かる価値を幸せだと感じ、
納得型の人は、自分だけが分かれば十分幸せだと感じる。
人を分類する際に、理解型か納得型という基準を用いると、これまでなかなか説明しづらかったことが分かりやすくなるような気がする。
理解型にしろ納得型にしろ、タイプが一致してる場合は共感の度合いは高いはず。
それに対してタイプが違う同士の場合は、相性の悪さや共感の出来なさ加減はかなり大きいはずで、両者が毎日顔を合わせるような環境ではストレスは相当溜まるだろう、ハラスメントと言われる揉め事も理解型と納得型の衝突である場合がありそうだ。
ストレスは、理由が分かるだけで軽くなる場合がある。
理解型か納得型かという分類を知っておくことは損はないと思える!