違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

読みたくなるような本だけが売ってない!?

幻冬社の見城徹社長のツイートが大きな話題になっている。

 

個人的には、事の是非にはあまり関心がないので、話題の中身には触れないが、それよりも改めて気付いた点について触れてみたい。

 

本との関わりが、買う又は借りるという形態しか知らない大多数の人にとっては、出版社と作家の関係はそれなりの一体感があって当たり前だと思っていたが、実際には利用する者と利用される者の関係だと言えそうだ。

 

利用するか利用されるかは、その時々の両者の力関係で決まるが、作家側が有利に振る舞える場合はベストセラー作家に限られるだろう。

 

そのくらい両者の力関係には偏りがある。

 

 

 

【追記】幻冬舎・見城社長「実売数晒し」で謝罪 作家ら一斉反発→「本来書くべきことではなかったと反省」

作家の岡田育氏は「『実売数の大きな作家は業界全体に大きな発言権を持つ ≠ 実売数が少ない作家には発言権がない』『本を売るのは出版社の仕事なので出した本が売れない責任は主に出版社にある』今日は皆さんにこれだけ憶えて帰ってもらいたいと思います」

 

 

作家にとって、作品を出版するための入り口は、出版社と知り合いコミュニケーションを重ねること。

 

一方、出版社にとっては売れる作家が欲しいから発掘する必要があるが、発掘した時点では原石に過ぎないので、磨く(=育てる)必要があるが育つまでの期間と費用は常に天秤にかけられることになる。

 

 

出版社と担当編集と作家の関係を上手に表現してる事情通の方のツイートがあった。

 

 

 

一消費者として接していると、出版社には固有の色が付いていることはあまり気付かないが、新聞社と同じで色が付いているのだ。

 

 

 

新聞・出版業界の右派左派マップ

 

 

このような色分けの信憑性の度合いは分からないが、売れるというだけではダメで、自社のカラーに合った内容の作品に仕立て上げたいという意図が担当編集者には常に課されていることが想像できる。

 

 

どこまで本当の話かは不明だが、次の話は、編集者は作家より常に上位に位置してると勘違いしてる話だが、この勘違いを担当編集者は会社から課されているのだ。

 

元編集者だけど、才能の見分け方教えます

あんた自身には人の才能見極める以外の才能はあるのか?

 

それから編集者にとっての作家の才能って何?

売れる物を書く才能?

文学的な才能?

それともそれいがいの何か?

 

売れる売れないは一瞬でわかる

作家が俺に従順かどうか重要

才能あっても反抗的ならその才能は潰す

 

Q2

編集者にそんな権力あるん?

 

中途半端におだてて、他の出版社に持ち込みいかせない

そいつの作品を上に見せない

これだけしたら、そいつはデビュー出来ないからなw

 

 

 

 

今日は出版に焦点を当ててるが、出版の世界も他の業界と同じく売れるか売れないかは重要なテーマなのだが、売れるだけでなく売れ方も問われるようだ。

 

作家の主義主張が出版社側にとって受け容れられない場合は、出版に漕ぎ着けられないか、内容の修正や変更を求められる。

 

 

ことばの世界は思ってるよりも遥かに不自由な世界なのかもしれない。

 

 

インターネットの普及で誰もが自由に情報を発信できるようになったことで、自由はどんどん加速してると思っていたが、それを歓迎しない勢力が日本にはまだ根強く生息しているらしいと分かった。

 

 

ところで、今回の騒動の発端はコピペに関する論争からなのだ。

 

 

 

 

編集者が十分に役割を果たせていればコピペ騒動は起こさずに済んだであろうと考えると、編集者の果たすべき役割と実際の能力のギャップの大きさが想像できる。

 

 

自由すぎて無秩序なのも問題だが、自由が少ない束縛だらけの世界も問題だ。

 

 

そして、両者は重なった世界を生きているが、互いに互いの存在をバカにし合っている。

 

 

日本での出版不況は、出版社が読ませたい本は読みたい本ではなく、読者が待っている本は出版社が出したくない本であるという、単純なミスマッチだと思えてくる。

 

 

『読みたくなるような本だけが売ってない』、そう感じてる人は大勢いるはずだ。