違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

スパイの力は、錯覚させる力!

川崎市登戸で起きた痛ましい殺傷事件やファーウェイを巡る問題の共通点として、情報をどのように処理することが望ましいのかということがある。

 

情報化時代と言われるようになって久しいが、情報とは何だろうかが今日の話。

 

情報化時代が求める情報は、自らに有利な情報。

 

有利な情報を早く手に入れ、その情報を独り占めすることを理想とすることから始まったが、それは有利な情報の多くは秘密や機密として扱われていたから。

 

情報が武器になることが周知されると、情報は入手するだけでなく発信することの価値も周知されるようになった。

 

情報の入手は調査研究やスパイというジャンルとして発展し、情報の発信は広告宣伝として発展していった。

 

 

今回起きた川崎での殺傷事件を受けて再発防止のために何ができるかが議論されているが、そんな再発防止案の中には、類似事件を起こした犯人の属性をプロファイルし、その人物像に合致する人物を予めリストアップし、街中に設置されてる監視カメラで自動追尾の監視対象にするという案や、最新の監視カメラには人間の感情を読み取る機能が付いているので、感情が不安定な人をカメラが捉えたら自動で警察に通報が入るシステムを確立するべきという案が出ていたりする。

 

子供が犠牲になった殺傷事件を受けての案だと思えば異論はないが、命や安全が目的だと許容できる考え方も、利害を目的としたものに活用範囲が広げられるとしたら不快感を感じる人も多いだろう。

 

情報の処理をする場合に、可能な技術を最大限駆使する方法と、道義的な合意を取り付けることを重視するという方法が対立関係になりやすい。

 

『モーニングショー』、防犯カメラを“監視カメラ”と批判? 「あの事件の翌日になぜ…」と物議

昨年12月から東京の「バスタ新宿」で、国交省がテロ対策の実証実験をしているといい、「防犯カメラで不審人物や不審物の置き去り、不審行動を検知する」「不審人物、不審行動をカメラで自動的に追尾する」、また、東京メトロ・霞ヶ関駅で「ボディースキャナーで危険物をチェックする」などが取り上げられた。

 

しかし、これについて視聴者からは、「登戸のあの事件の翌日になんで防犯カメラに反対しようと思うんだろう…」「それで治安が維持されるなら全然いい。防犯カメラに映ると都合が悪いのか?」「一般人なら防犯カメラは防犯カメラ、監視でも何でもないけどね」という批判が噴出している。

 

 

 

ところで、カメラが捉える情報だと、情報は真実で、その真実をどう解釈するかが問題になるが、解釈の仕方を間違えば真実から遠ざかる。

 

つまり、どんな情報であっても加工が可能な限り真実と嘘の無限のグラデーションが描かれる可能性がある。

 

アメリカが躍起になって排除しようとする中国のファーウェイ社の問題にも類似の構造が感じられる。

 

情報戦で有利に立ちたいと考えるとスパイ活動に熱心になるが、スパイ活動に熱心になるほどに、スパイされることは嫌がるようになる。

 

情報戦で有利を築きたいと考える場合に考えることは、規模や立場に関係なくほぼ同じで、敵やライバルより情報の質と量で上回っていたいということ。

 

情報を発信する側にも、情報を受け取る側にも、同じような意図がありながらも、そのために取る行動が違えば結果は大違いというのが次のツイート。

 

 

情報化時代の情報とは決して真実とは限らないと思っておいた方が良いのかもしれない。

 

映画や小説でよく見るスパイという職業は、味方に有利な情報を集め、敵に不利な情報をばら撒き、時には敵の組織を直接的に攻撃したりする。

 

そんな直接的な攻撃ですら情報化しているのが現代。

 

情報が兵器と化し武器になっている。

 

 

 

武器と化す情報には、完成度の高さは必要はない。

 

信じさせることができれば嘘でも構わないが、知る人ぞ知る情報であれば尚一層強い力を持つことになるはずだという意味では、情報の力とは錯覚させる力とも言えそうだ。

 

 

現代社会で生きるということは、情報戦を繰り広げることと言える。

 

現代に生きてるというだけでスパイと言えるのだ。

 

 

川崎市登戸の事件では、自殺した犯人の動機を巡ってさまざまな憶測が流れている。

 

この憶測も情報の一種だ。

 

そんな憶測の一つに、犯人が世の中を恨んでいたというのがある。

 

当たらずとも遠からずだろうと感じる。

 

そして、犯人が世の中を恨むに至った事情の多くは、犯人が入手した情報が影響してるはずだ。

 

 

現代人は皆、自覚がないかもしれないが情報戦を行なっている。

 

 

月日が流れ、ずっと未来の人々には、情報戦を躍起になって展開する現代人の情報戦はきっとこう見えるだろう。

 

 

この句は、芭蕉が昔繰り広げられていた戦いを思って詠んだ句と言われている。

 

 

平泉は奥州藤原氏が繁栄を築いた地。兄・源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せる。しかし秀衡の次男・泰衡に襲われ30年の生涯を閉じた。芭蕉が訪ねる500年ほど前のことである。

夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや   つわものどもが  ゆめのあと)

 

 

真実や特ダネを求めて展開されてるように見える情報戦を行なっているのは皆スパイだが、最大の目的は錯覚させることにある。

 

しかし、錯覚させることに失敗すると極秘の話が表沙汰になる。

 

結局ファーウェイを巡る問題も、スパイとスパイが喧嘩してるだけなのだと分かる。

 

 

情報の戦いに勤しむ現代の兵(つわもの)こそがスパイだが、その存在自体が錯覚と言えるかもしれない。