次のニュースを知っての自分の反応を改めて振り返ってみた。
走行中バイクに「あおり運転」…10年以上前から“無免許”か 滋賀 5/23(月)
警察によりますと、車を運転していたとみられるのは派遣社員の山口哲男容疑者(49)で、無免許危険運転致傷などの疑いで逮捕されました。
山口容疑者は10年以上前から免許を失効した状態で、調べに対し、「運転はしていない」と容疑を否認しているということです。
このニュースを見て、わたしはごく自然に『犯人はどんな顔してるんだろう?』と思った。
こういう時には、『犯人の顔は…』と称した記事がすぐさま出てくる。
大抵の場合は、ズバリの顔は出てこないし、容疑者の段階では顔は公開されてないし、縁もゆかりもない人が名前を頼りに検索してヒットする情報があったからといって正しいかどうかも分からない。
そんな時、毎回自問自答するのが『どうして顔を知りたいと思ったのだろうか?』ということだ。
時には犯人の顔だけでなく親の顔も見てみたいと思うこともある。
おそらく顔が分かることで、実在の人物感が高まるからだし、実在の人物感が高まることで喜怒哀楽の感情を向ける対象として成立するのだろう。
逆に考えると、顔が分からないままの情報だと味のしない食べ物のようにしか思えないので、つまり美味しくないのだ。
ただし、美味しくはないが知識という意味での栄養摂取にはなってるが、やはり美味しくなければありがたみはないのだ。
こんなわたしの反応は、世間の代表的な反応だろうと自信がある。
つまり大衆はゲスなのだ。
このような場合は、嫌よ嫌よも好きのうちの典型で、嫌だという人は犯人の顔を知りたがる自分の性癖への自己嫌悪があるのであって、本音は知りたいのだと思ってしまう。
このことを再認識すると、絶対に犯人の側になってはいけないと強く思う。
至る所にカメラがある現代では姿は絶対捕捉されてるし、社会生活はルーティン化しやすいからガラッと行動を変えるなんてできないから一般人であれば逃げきれずに、最後は好奇の目に晒されるのだ。
一度好奇の目に晒されると、事件の内容と犯人の顔やプロフィールが一致するようにメディアも世間もまとめ上げるだろう、その方が美味しいのだから。
山口で起きた4630万円事件の犯人も同様の世間の好奇の目の餌食になったのだ、起こした出来事の重大性に世間は反応したのではなく、好奇心の絶好の狩り場にされてしまったのだ。
パチンコ好きのギャンブル狂いというプロフィールやそれを感じさせる卒業文集などに世間は大いに満足したことだろう。
そして、そんなことがあったことも忘れて新たな狩り場を求めるのだ。