違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

飼育されてる現代人!

地球温暖化という指摘がされ始めたのが1970年代、1990年代に入ると国際政治におけるテーマの一つになるようになった。

 

一般人の私たちが地球温暖化を実感するようになったのは、2007年から気象庁が気温35℃以上を猛暑と呼ぶようになった頃からだろう。

 

世間話で「明らかに地球温暖化が進んでるよね」なんて会話が珍しくなくなったのもこの頃からだ。

 

知識として地球温暖化を認識したのは多くの人にとっては、1997年の京都議定書(地球温暖化防止京都会議で採択)からだとすると、知識と体感が合致するまでのタイムラグは10年だったことが分かる。

 

 

 

 

人生100年時代ということばを世界に認識させたのは2016年に出版されたリンダ・グラットンの『LifeShift』。

 

 

 

2017年9月には首相官邸に安倍首相を議長とする「人生100年時代構想会議」が設置された。

 

今やニュースや報道でも普通に用いられることばになったが、わたしは『人生100年時代』がこんなに早く世間に定着するとは思っていなかった。

 

驚くことに、わたしの周りにいる高齢者(母のコミュニティに属する方たち)の間では、実感を伴って「本当に100歳まで生きるのは珍しくなくなったね」という会話がなされているのだ。

 

さすがに100歳を超える方はまだ珍しいが、95〜96歳以上で地域の活動に参加してる方が何人もいるらしいのだ。

 

地域の活動はレクリエーション的な遊びから、草刈りなどそれなりに負担の大きいものまであるので、元気じゃなければとても参加できないものが多いのだ。

 

そう考えると、『人生100年時代』は遠くの未来を指し示すことばではなく、地球温暖化と同様にすでに顕在化した現象になっていると言える。

 

 

政治的に掲げられるキャッチフレーズの多くは、単なる掛け声だけで終わることがほとんどだが、地球温暖化や人生100年時代のように、生活と向き合っていればいるほど実感を強く持てるものもある。

 

 

先日金融庁が人生100年時代における資産形成ということで下記の資料を発表した。

 

https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market_wg/siryou/20190412/03.pdf

 

 

 

人生100年時代の課題をお金だと見てる資料だが、わたしにはこの問題は今世界を悩ますゴミ問題と同じなのではないかと思っている。

 

ペットボトルをはじめとした廃プラスチックや割り箸のようなものまでが、海洋に投棄され、汚染だけでなく生態系にも大きなダメージを与えている。

 

現在の対策は、今後の生産を巡る話ばかりで、すでに進行してる状況を改善するものには程遠い。

 

 

 

 

日本人の大半は、人生100年時代はこれから起きる問題だと捉えていると思うが、実際には既に始まっている。

 

人生100年時代の課題はお金の問題だと思われてるようだが、果たしてそうだろうか?

 

動物の世界では、野生の種よりも飼育されてる種の方が寿命が延びることが知られている。

 

人生100年時代とは、人間が飼育されてる時代と言えるのかもしれない。

 

もしそうだとするならば、現代人は既に飼育されてる状態なのかもしれない。

 

 

 

現代人が起こすさまざまな問題は、飼育されてるから起きていると言えるかもしれない。

 

だとすれば、問題を解決するためには野生を取り戻すことが大事になるのかもしれないが、野生を取り戻すときっと寿命は短くなるのだろう。