人間社会では高齢化とも長寿命化とも取れる現象が起きていて人生100年時代などと言われている。
同様のことは人間に飼われてるペットにも起きている。
同会派の岡区議と、老犬・老猫ホーム、東京ペットホームさんを視察しました。
— おぎの稔 (荻野稔)大田区議会議員 東京都大田区 (@ogino_otaku) February 28, 2018
大切なペットの終の住処としての老犬、老猫ホーム。
昨今では飼い主の高齢化と、ペットの長寿命化で飼育継続するのが難しくなるケースも多くなっており、必要だと思います。
月1くらいで飼い主さんも会いに来るそうです。 pic.twitter.com/N5T65CVyM6
老親の面倒を見る子供の高齢化を老老介護と呼ぶように、老いたペットの面倒を見る飼い主の高齢化もまた老老介護なのだ。
似た現象としては、動物園の動物もある。
外敵のいない飼育環境下では長寿命化が進む。
食事や医療の充実も貢献してるだろう。
長寿命化が進む動物園では、飼育頭数に限界があるので、長寿命化が進むということは必然的に少子高齢化の傾向が出てくる。
もちろん動物の種類によるだろうが、大型獣ほど少子高齢化が進むはずだ。
一方で例えば乳牛の場合、牛乳を出させるために強制的に妊娠と出産を繰り返させられるので、野生牛の寿命が20年前後に対して乳牛は6〜7年と言われる。
同じ飼育でも乳牛は奴隷のように感じられる。
牛乳は大切にしたいと心から感じる。
牧場でのんびり育っているように感じられる乳牛だが実態は少し違いそうだ。
動物の世界では飼育に馴染む種と馴染まない種がいるが、動物園の動物やペットのように飼育環境下で進む(少子)高齢化と人間の少子高齢化に共通点があるとすれば、キーワードは飼育なのかもしれない。
現代人は飼育環境下にあるのかもしれない。
インフラが整い便利や快適が当たり前という環境が、飼育されてるのと同じ状態を生んでいるのかもしれない。
便利や快適を当たり前のことと思うと、不便や不快はとても我慢できないものになり、それこそ寿命が縮まるだろう。
「東電は停電が発生した当初、被害に遭っていない設備を使って「迂回ルート」をつくり、そこに電気を通して復旧するとしていた。しかし、実際に行ってみると送電線や電柱が予想以上に壊れていて、迂回ルートが確保できない地域が多く、復旧の遅れの原因となっている」https://t.co/EInwzZwFBs
— 平石直之@AbemaPrime (@naohiraishi) September 11, 2019
便利や快適はありがたいが、それが原因で夏は暑くなり台風が強力になってるとすれば、「過ぎたるは及ばざるがごとし」や「本末転倒」などのことばが脳裏をよぎる。
日本で起きている少子高齢化は、日本の国土のキャパシティに相応しい飼育頭数(人数)を調整する役目を果たしていると思えばしっくりくる。
個人的には、人間が飼育される存在になったのは電気を使うようになってからだと感じている。
飼育されてるとは言えないのは戦後の1950年頃まで、その頃日本の一般家庭に普及していた電気器具は、照明とラジオ、扇風機、アイロンくらいだったらしい。
飼育が始まるのはそれ以降だろうが、いつが起点なのかは意見は様々だろう。
1950年代中頃(昭和30年)から20年続いた高度経済成長時代には、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫はあこがれの的であったらしい。
エアコンが家庭に普及したのは1980年代以降と言われている。
個人的には、家庭にエアコンが普及しだした頃から、家や建物が高気密高断熱で窓を開けずにエアコンを使うようになった頃から後戻りができない飼育状態になったように感じている。
その頃から、暑い寒いに不平不満を言う人がすごく増えたように感じている。
現代人は、自分が飼育されてる存在だと気付いているだろうか?
現代人の強さも弱さも飼育されてることが原因だと思えるが、未来人は飼育環境から抜け出すことを目指すのだろうか、それともよりきめの細かい飼育環境を実現しようとするのだろうか、先見の明がある人にはきっと見えてるのだろう。