金融庁が6月3日に発表した「老後の30年間で2000万円不足する」という報告書が炎上気味に話題になったが、それから3週間近く経ってもこの話題はまだくすぶっている。
この報告書の内容の真偽はともかく、具体的な数字として30年間で2000万円(≒毎月5万5000円)が出たことで生々しさが伝わってしまった。
悲観主義者が多い日本人の深層心理に影響しないわけないだろう。
消費税が10%になったら景気が冷え込むなどと言われてるが、それ以上に影響するだろう。
わたしは、個人的には金が無いならば無いなりに持ってる範囲で工夫しようとするタイプなので、想定されたモデルケースを事例にシミュレーションを展開されても共感しないタイプなので今回の報告書は別に心に響かなかったが、心に響いた日本人は意外と多いのだろうと思っている。
一つ思い出した風景がある、大学進学で上京する際に新幹線を使ったが、新幹線の停車駅から見える街の風景にサラ金の看板が多かった事だ。
両親が銀行員で上京する際に、「たとえ友達でも金の貸し借りは絶対にするな」と念を押されたことも影響したかもしれないが、「金を借りる」というのは生活の身近に忍び寄ってるなと感じられた。
不思議なことに、受験で上京する際も同じ景色を見ていたはずなのに、全く印象がないので、両親のことばのせいで気が付いたということだと思える。
昔は、遊ぶための金を借りるということが多かったような印象があるが、最近では奨学金や自己投資など明確な目的を持っての借金の比率が高まっているような印象がある。
奨学金にしても自己投資にしても時期やタイミングが大事なので、必要な資金を準備してからというよりも借金してでも今やることが大事だと思うのは当然だろう。
そして、その理屈は昭和までは確実に多くの人に当てはまっていたが、平成に入りバブルが崩壊して以降は奨学金を使う使わない以前に、大学に進学し4年間の授業料や生活費を大学卒業後の人生で取り戻すのは困難だとすら言われるようになった。
そう言われながらも大学への進学率が増えたのは、将来を担保するものとして進学以上の価値が見つからなかったからだろう。
http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html
日本人は、なぜか他人と同じことをしたがる人が多い。
行列に並ぶという事は、選択で失敗しない事だと信じてる人が大勢いる。
今も昔も、友達や周りの人がが持ってるものを持ってないことを恥ずかしいと思う風潮は生きているので、持ち物を比較しながら格付けし合うという日常が存在する。
日本のGDPの60%を個人消費が占めている、個人消費を支えているのは庶民であることを考えると、今以上に節約をし始める人が増えると、それに連れて節約し始める人が増えるかもしれない。
将来毎月5万5000円不足すると言われたら、今できる事は毎月5万5000円余計に貯金するか、毎月5万5000円以上余計に儲けなければいけないと考えるだろう。
金融関連や詐欺師がワクワクしながら作戦を立ててる姿が想像できる。
もうしばらくしたら、新しい動きが出てくるだろう。