違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

タイミングとキャズム!

意識が高い人たちが気にするものにキャズムがある。

 

ハイテク業界において新製品・新技術を市場に浸透させていく際に見られる、初期市場からメインストリーム市場への移行を阻害する深い溝のこと。マーケティング・コンサルタントのジェフリー・A・ムーア(Geoffrey A. Moore)の著書『Crossing the chasm』(1991年)に登場するキーワードで、ハイテク市場におけるマーケティング理論である「キャズム理論」は大いに注目を集めた。

 

 

難しいことを抜きにして、次のような図で示されている。

 

キャズム

 

 

 

キャズムとはアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間に存在する普及を妨げる谷であり壁と考えられている。

 

ちなみにラガードはどんなに普及しても自ら使おうとしない人で、頑固で意地を張ってる人もいれば、必要な理由が見つからないという人もいる。

 

完全にキャズムを越え普及した後から振り返ると、イノベーターやアーリーアダプターに該当する人はマスコミからは先見の明があり、嗅覚が鋭い人と評価されるが、キャズムを越える前の段階では狂人や変人と呼ばれたり、頭が良すぎる人の考えてることは分からないと言われたりする。

 

世間一般でいうと、先見の明があり嗅覚が鋭いと呼ばれる人は、キャズムを越えたタイミングを上手に掴むアーリーマジョリティの最初の段階の人が多いはずだ。

 

 

キャズムを越える前に飛びつく人達は、人柱となることも多いので損を上げればキリがないだろうが、一つがうまく行くだけで莫大な利益を手にすることもある。

 

このキャズム理論は先端技術の普及に関して言われてることだが、先端技術に関係ないことでも当てはまるような気がする。

 

要は、始めるタイミングで結果が大違いということの説明に便利なのだ。

 

例えば大学への進学。

 

昔は大学に行って何になるという考えが一般的だったが、現代では大学進学は借金(奨学金)してでも行くものだという考えが当たり前になっている。

 

大学進学率の推移を見ると、

 

大学進学率の推移

http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html

 

 

このグラフからキャズムは1960年代の半ばだったことが想像できる。

 

1960年代以前に大学進学した人と、それ以降に大学進学した人の考え方や覚悟には大きな違いがありそうだ。

 

同じ学問を、より進化した内容で勉強研究しているはずなのに、進歩してるようには感じられないのは新たなキャズムを越えようとしないからだと思えてくる。

 

 

同様のことをSNSにも感じる。

 

インプットよりもアウトプットが大事という考えを後押しするかのようにアウトプットのプラットフォームとしてSNSが機能している。

 

代表的な例として「ブログ」「Twitter」「フェイスブック」「インスタグラム」をGoogleTrends見てみた。

 

それぞれの時系列での変化からキャズムを感じ取れるかを見てほしい。

 

 

GoogleTrends「ブログ」「Twitter」「フェイスブック」「インスタグラム」

 

「ブログ」と「インスタグラム」にはキャズムを感じにくいが、「Twitter」と「フェイスブック」の場合はグラフのピークの前の段階にキャズムがあったのだろうなと想像できそうだ。

 

 

わたしがブログを始めたのは3年前の2016年の8月から、いつかはブログをやってみたいと心の片隅に思い始めてから実際に始めるまでに約10年かかっているのは世間のキャズムとは別のわたしの心の中のキャズムが深かったからだろう。

 

しかし、自分なりにキャズムを乗り越えてブログを始めてみるともっと早く始めれば良かったと思えてくる。

 

わたしの心の中でキャズムになっていたことは、アカウントをどうするかだった。

 

実名にするか匿名にするかから始まって、ブログのタイトルをどうするかなど、そういうことに妙に自意識過剰になったために始められなかった。

 

人間の行動が妨げられてるところには何かしらのキャズムが存在する。

 

心理的なキャズムを越えるのは簡単なようで難しいかもしれないが、キャズムには乗り越えるに相応しいタイミングがきっとあるはずだが、遅かれ早かれ乗り越えるのであれば早い方が良いと感じられる。

 

わたしのような悩み方をする人間は、どう間違ってもイノベーターやアーリーアダプターにはならないのだから、決断が早過ぎるということはないだろうから。