違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

今治タオルに感じるベッキーのおもかげ!

テレビや新聞など情報収集の最前線で取材し発表する術を持つ立場の人達はスクープや特ダネに拘る性(さが)を持っている。

 

そして今やスクープや特ダネに拘る気持ちはむしろ週刊誌の方が強いのかもしれない。

 

スクープや特ダネを“スクープや特ダネ足らしめる”ものは映像や写真や音声などの証拠と言われるものだ。

 

スクープや特ダネと紙一重なのがデマ。

 

ちょうど良い題材として『今治タオル』がある。

 

タオルとして最高の評価を受けていた『今治タオル』だが、突然スクープという形で足元を掬われた。

 

スクープしたのはNHK。

 

 

この番組の影響で、今治タオル業界は大騒ぎになり、一部では不買運動も起きているらしい。

 

また、番組で取り上げられた会社はどこかを巡っても憶測の嵐が吹き荒れていて、無関係な会社が会社名を挙げられて非難されたりもしてるようだ。

 

 

スクープや特ダネにしてもあるいはデマであっても、その影響が出たとすれば、その情報が力を持っていたと言うことだろう。

 

情報はデマやウソを含めて、出しさえすれば影響力を発揮するというわけではない。

 

影響力を与える場合、伝えられた内容以外にタイミングや間の良さみたいなものも関係するはずだ。

 

そういう意味では、情報は良い影響力を発揮できれば資産となり、悪い影響を受けてしまえば負債となる。

 

ここで言ってる資産や負債は簿記や会計で使われるものと違い、もう少し感情的な解釈をしている。

 

資産になるか負債になるかは、立場によって違うが、今治タオル業界は今のところ負債を背負わされてしまった。

 

 

今治タオルに関して言うと、当事者としての立場として、

 

  • NHK
  • 今治タオル業界やメーカー
  • NHKに動画を提供した人物

 

がある。

 

他に当事者というわけではないが、この話題に接した世間の人々という存在がいる。

 

この世間の人々の一部が不買運動を叫んだりしてるが、そもそも今治タオルの存在を今回のドタバタで初めて知った人かもしれない、そうだとするなら不買運動を口にしてる人は今治タオルのユーザーには決してならない人なので気にする必要はないのだが、この不買運動という話題が情報としてどのように影響するかは負債を気にする人達には重くのしかかるだろう。

 

ざっと検索する程度では、番組が取り上げたタオル工場は特定されてなさそうで、業界やメーカーとして負債を背負わされたように感じられるし、表沙汰になってないだけで業界全体に共通する何かがあるのかもしれないとも勘ぐれる。

 

 

一方、番組を作ったNHKにとって今回の件はどう映っているのだろうか?

 

世間で話題になるということは、マスコミとして影響力を行使したことになるので反省点はあるにせよ拍手喝采だと想像できる。

 

NHKにとっては、『今治タオル』の番組は立派な資産と評価されてるだろう。

 

ここまでの情報で判断が難しいのが、NHKに動画を提供した人物の思惑だ。

 

劣悪な環境を改善したいという思いだったのか、業界の足を引っ張りたいという思いだったのか、あるいはもっと別の思惑があったのか?

 

スクープが大きな話題になる時は、先入観とのギャップが大きいことだったり、意表を突かれた場合だろうという気がする。

 

大きな話題になることを「〇〇砲」と言うが、元々は文春砲が由来だろう。

 

そんな文春砲の中でも、意表を突いたのが記憶に新しいベッキーのゲス不倫だ(2016年の出来事)。

 

当時、スキャンダル処女と呼ばれていたベッキーだったので話題性も高かったことを思い出す。

 

週刊文春の編集部にはスクープは一朝一夕には打てないので、「スクープの種をまく」という文化があるらしい。

 

スクープとして扱われる話題が真にスクープならば、おそらく事前に種がまかれているケースの方が多いだろう。

 

今治タオルの件に関しての、まかれた種とは何だったのだろうか?

 

今治タオルには、優しい肌触りのイメージがあり、作り手にブラックなイメージは全く無かった。

 

今治タオルは罠にはまったのか、それとも製品のイメージで作られてる現場をイメージすることがいかに大きなギャップを生じさせるかを暴露されたのか?

 

今治タオルとベッキーが重なって見えるのは私だけだろうか?