違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

諦めた人は、権威が好きになる!

「学歴なんて関係ない」、今はそういう時代だと思っていたが、世間の動きを見てると、もしかすると学歴は重要視されてるかもしれないと感じられる。

 

クイズ番組に出演する芸能人が学歴で序列化された番組が増え、頂点に東大が位置するが、最近では東大の医学部が持て囃されてるようにも感じられる。

 

ただ単にテレビ番組を製作する側の企画の一つだと思っていたが、一向に視聴者から飽きられる風でもなくゴールデンタイムで放送されるのを見ると、もしかしたら明確に視聴者が序列化された学歴を求めているかもと思えてくる。

 

学歴というのは、プロフィールの象徴的な存在で良くも悪くも経歴を演出する力がある。

 

就職や転職では、自分の経歴を演出し有能さをアピールすることが求められるが、学歴は確かに小道具としてはインパクトがあるだろう。

 

「学歴なんて関係ない」というのは、人間は実際には関わらないとその優秀さなんて分からないということを意味してるが、どうせ分からないんだったらプロフィールの体裁が整ってる方が良いという考えは、発想のレベルとしては大した違いはない。

 

学歴が独り歩きして評価されるようになると、学歴は権威としての役割を担うようになるだろう。

 

だとすれば、権威が求められているのかもしれない。

 

 

権威といえば、新元号『令和』が話題になっていた頃、当初は「もう新元号に興味を持つ人なんていないので西暦だけで十分だ」と言われていたのに、いざ発表されると大盛り上がりで多くの方達が好感を持って受け止めていた。

 

この状態を、わたしは日本人のDNAが刺激されたのかなと思っていたが、実は権威としての新元号や新天皇に反応したようにも感じられる。

 

最近の権威は『映え(ばえ)』とセットで機能する傾向があるので、新元号の発表や一連の儀式は権威が最も演出されたイベントだったから大盛り上がりだったと言えるのかもしれない。

 

「皇室や天皇」あるいは「学歴を含めたプロフィール」が権威を象徴するとすれば、もう一つ見過ごせないのが「セレブ」だ。

 

セレブにも二種類ある。

 

にわか成金のような億万長者と、伝統や歴史を持った家系だ。

 

伝統や歴史を持った家系の主役は既得権益の二世三世だが、こういう枠に当てはまる人達が芸能界だけでなくビジネス界にも増えている。

 

頑張って努力するという価値観よりも上位に権威が位置してるように感じられる。

 

権威は錯覚であっても構わない。

 

 

芸能界の闇営業が話題だが、報道を見てると闇営業の相手先は詐欺グループが多い。

 

詐欺グループは、自分たちのパーティに芸能人を呼んだという実績は一種の権威として機能すると考え、権威を持つことでその後の詐欺ビジネスを有利に展開できるという確信があったはずだ。

 

ところで『権威』の反対語は何になるだろうか?

 

明確な反対語と言うよりは、反対の意味として『服従』や『支配される』が当てはまる。

 

権威に何となく気持ちがすり寄っていくのは、送ってる日常生活に『服従』や『支配される』という気持ちがあるからかもしれない。

 

そんな状況から抜け出すためには、努力や頑張りよりも、何でも良いから権威を身に付けることだと思えてしまうのだろう。

 

昔から日本人は権威や権力に弱いと言われながらも判官贔屓のように、権威や権力に逆らう気質も持ち合わせていたはずだが、最近は明らかに権威に迎合することが増えているのは何かを諦めたからのように感じられる。

 

諦めたものが何かは人それぞれだろうが、結果として頑張りや努力や「異を唱える」ことをしなくなっている。

 

このような目で最近の日本の政治経済を含めた動きを見ると、「なぜ?」、「どうして?」と感じられることの多くに納得がいくような気がする。