日本では、ジャンルとしての『政治』は、高尚なものとして位置づけられる。
大学受験でも最近でこそ文系学科では経済分野が地位を上げているが、伝統的には政治経済学部や政治学科的な専攻は、王道中の王道だった。
政治には、理想と現実のギャップがあり、清濁併せ呑むという泥臭い駆け引きが常に付きまとう。
そんな駆け引きは、高度に戦略や戦術を駆使する一方で、根も葉もない噂や流言飛語の類いでいとも容易くひっくり返ったりすることもある。
だから、発言力や発信力がある人の発言は重宝される一方で警戒もされる。
ロンブー #田村淳、政治的発言をツイッターで行わなくなった理由を告白「竹島問題をつぶやいたら、レギュラー番組を降板させられた」 https://t.co/LWrT4Z0LtX
— Katsue Murayama (@MurayamaKatsue) July 7, 2019
面白いことに、政治的発言に対して意見や考えを述べることは、自然と政治色を帯びてしまう。
芸能人が政治的発言して番組(仕事)を降ろされるなんて😡
— しなさん。 (@sinabon473) July 7, 2019
それじゃ官邸に呼ばれる芸能人とツーショットの写真をSNSに載せるなんてマスメディアがヨイショするなんておかしくないですか。
これも政治的特権なんですか?
言論の自由が規制されて来ているのが小市民な自分でも感じて来てます(涙)
多くの人に名前と顔を覚えてもらっている有名人や著名人で、最近露出が少ないなと思える人が、突然の政治的発言や議員への立候補を行うことがしばしばある。
実際にどうなのかはともかく、政治的発言は売名行為とセットであり表裏一体に見えてしまう。
政治的発言は、私利私欲を含めた利害の匂いが強いので、発言の動機が明確に見えないと信頼は確実に落ちる。
政治的発言は、政治的発言臭を発することがほとんどだが、臭いのない政治的発言もある。
私たち日本人は、つい最近政治的発言臭が無い、そして数少ない動機が明確で信頼に満ち溢れた政治的発言ショーを体験したばかりだが、そう言う意識はあまり無いかもしれない。
今年の5月1日から無事に新時代令和がスタートした。
遡る4月1日に新元号の名称が発表されたが、概ね好意的に国民に受け入れられていた。
新時代が無事に穏やかにスタートできたのは、2016年8月8日の平成天皇の『おことば』があったからだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
「おことば」の中で天皇は「憲法上の制約により、具体的な制度についての言及は避ける」と述べていたが、放送に至る経緯もあり「加齢による体力の低下から、象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつあり、そのため、生前退位の意向をにじませる」と報道される。そのほか、「おことば」では摂政を置くことには否定的であり、身体不良時の社会の自粛傾向や長期の葬儀関連行事による負担にも触れられており、それらも含め、象徴天皇の務めに対する国民の理解を求めている。
政治的な権力を一切有しない天皇が発された『おことば』は政治的発言そのものだったが、この『おことば』を国民が強い気持ちと優しさで圧倒的に支持した。
その結果、日本政府は『おことば』を尊重せざるを得なくなり、特例法が成立した。
その背景には圧倒的な国民の天皇への支持があったからだが、その国民の強い支持が政治力を一切持たない天皇に強大な政治力を与えていたのだ。
令和誕生の背景には、極めて稀なドラマがあったことは覚えておきたい。