GoogleTrendsで検索可能な2004年以降で『マスク』を見ると、
今のようにマスクが注目というか脚光を浴びてるのはコロナのせいだと言えそうだ。
2009年の5月に小さな山があるが、調べてみるとインフルエンザが話題になっていてWikipediaにも載っている。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本における2009年新型インフルエンザ
GoogleTrendsで過去90日で見ると、
マスクが検索され始めたのは1月20日以降と言えそうだ。
これは、ダイヤモンドプリンセス号でのコロナ感染が話題になり始めた最も初期のタイミングと一致している。
3月の上旬に北海道で感染が増加し始めると、政府はマスクの配布を発表した。
北海道 4町の住民に12日以降マスク配布へ 厚労省 2020年3月10日 NHK
おばんです。
— 徹宵 (@tesshou) 2020年4月1日
道外だと、下のニュースが一部だけ伝わっているんですかね?
(自分は道民ですが配布されない地域住民で、医療者のマスク最優先派です)
厚生労働省は中富良野町、北見市、せたな町、美瑛町、木古内町、知内町へマスク配布(1世帯あたり40枚予定)https://t.co/6dVU17D4Ph
このマスクの配布は、ちゃんと完了したのか、配られた時期はいつだったのか、配られた枚数など突っ込みどころが満載のよう。
首相が3月2日から全国の小中高校の一斉休校の要請を出したのが2月27日。
イメージでは、これ以降自粛がずっと続いているような気になっていたが、GoogleTrendsで過去90日で見ると、
小さな動きは2月の半ばから出ているが、大きな動きになったのは小池都知事のロックダウン発言とリンクしてそうだ。
最近ではニュースや報道だけでなく、SNS等の個人的な発言や呟きもコロナに関連するものばかりになっている。
コロナのことを直接言っていなくても、結果的にコロナが関連してそうな話ばかりだ。
コロナが関連してる話題は、直接的には不安や不満や怒りが表現され、間接的には皮肉や嘆きが込められていたりする。
つまり、ポジティブよりもネガティヴが増えているのだが、ここで不思議なことに気付かされる。
個人的なことや、小さな身の周りの話を伝えているのに、その話はもっと大きなことや全体にも通じる話だったりし、異なる思いを発しているのにそれは共通する思いだったりしてることに気付くのだ。
この共通してることこそが政治に関連するのだ。
おもしろいのは、発言してる人は政治に対しては無関心な人ですら、発言が政治的になっているのだ。
もともと政治的発言とは近い側面を持っているのが芸能界だが、そんな芸能界でも政治的発言とは遠いところに位置してると思われていた人々の発言も目立つようになってきたのが今年の3月で各界で自粛が声高になるとともに。
ヒロミ「森友問題ももみ消されて…。何か怖い国だなって」 坂上忍も同調「こんな国になってたのかって」 2020-03-25
浅野忠信や佐藤浩市、ネット民の餌食に“政治的発言”芸能人の「危機と回避」 3/26(木)
〜〜以下引用〜〜
これには5万件を超える「いいね!」がつき《よく言ってくれた》などの賛同コメントが多数寄せられた。その一方で《金持ちに言われると、イラつきます》《芸能人が無自覚にプロパガンダを垂れ流すのはよろしくない》といった批判コメントも。
〜〜引用ここまで〜〜
政治に興味が持てない人の多くは、政治が自分にどう関係してるのかがピンと来ないからだろうし、少々関心があっても自分が関わっても何も変えられないと思うのだろう、だから投票率も下がるのだ。
一方で、政治に積極的に関わり介入しようとする会社経営者は多い。
政治的な采配が自分や自分の事業と密接に関わることを理解してるからだ。
政治とは教科書的には崇高な理想に向かうものだと教えるが、実際には欲にまみれた対立する利害関係の調整機能なのだ。
政治的発言を多くの人がするようになったことや、そんなつもりもなく発言したことが政治的発言になってしまうのは、現在否応なく大勢の人(全ての人と言えるかも)が利害関係における害を被っていると感じているからだ。
ところで、害が発生した場合、政治的にはあるいは法律的には害を金銭的に評価することで対応する。
逆にいうと、そんな時だからこそ政治的采配が注目される。
新年度を迎えた4月になって、自粛に伴う経済的な補償として日本政府が打ち出したのは、
でも布マスク2枚はいただけない。この局面は一律現金給付でしょう。緊急時にはスピード感もって国民をフルサポートしよう。
— 山尾しおり (@ShioriYamao) 2020年4月1日
ここでの国家のふるまいは、今後必ず、日本社会における国民と国家の基本的信頼関係に大きな影響を及ぼす。
そして、このマスク2枚すら冒頭の北海道の事例のように実行には疑問符が付くだろう。
今や日本の政治は阿鼻叫喚のお笑いエンターテインメントになってしまった。