次から次に新人が登場するお笑い芸人の世界ではさぞかしネタ作りに苦労してるだろうなと想像できる。
お笑いに目覚めたきっかけは、好きな芸人がいたからというのが大半だと想像すると、やりたいネタは純粋なオリジナルと言うよりも、好きな先人のリスペクトするネタをアレンジしたものになるだろう。
同じようなことは小説などの世界にも当てはまっているだろう。
著作やコンテンツと言われる創作物だけでなく、製品や商品と呼ばれる大量生産品も同様だ。
ほんの少しのごく一部のみが純粋なオリジナルで、残りのほとんどのものが既存のものをパクったり、参考にしたり、アレンジしたりのものばかりで溢れている。
お笑い芸人のネタや芸風が似てる世界には自然と派閥ができる。
派閥の中心に居座るのは大御所と呼ばれる芸人で強固なヒエラルキーに守られた存在だが、その芸人のデビュー当時をリアルタイムで知ってる人だと分かるだろうが、昔ながらの芸風で代わり映えしないのに取り巻きばかりが増えて勝手に持ち上げられていく状態で、何かに似てるなと思ったら政治家の世界だと気付く。
日本の政治もお笑いの世界と同じく、純粋なオリジナルのネタなど求めていない。
与党慣れしてる自民党は、実効的に日本を支配することを考えてるが、日本を良くしようとは考えていない。
一方、2009年〜2012年に民主党が与党になったがオリジナルの考えも持ってなければ真似をするお手本も持たない状態で与党になり、もうこりごりと国民も民主党も反省し、以降野党は分をわきまえ、野党慣れした野党は選挙で当選して国から給料をもらうことで食いつなぐことしか考えなくなった。
結果、日本の政治家で日本のことを考える人はいなくなった。
安倍総理『桜の会』芸能人続々のウラに「招待状8万円」の闇ルート 4/16(火)
前出永田町関係者は、
「状況から察するに、その派閥に所属する議員が招待状ビジネスをしているのでしょう。このご時世、派閥のパーティー券をたくさん買ってくれる人は少ない。そこで、招待状で儲けつつ、パーティー券もさばける。まさに一石二鳥の”悪だくみ”ですよ。ここの派閥の親分は最近、いろんな意味で影響力が弱まってきている。そんな親分をしり目に、子分は小遣い稼ぎ。親分がボンクラなら、子分もボンクラ…は言い過ぎですかね?」
と苦笑いを浮かべる。
オリジナリティを持たない政治の世界とお笑いの世界が結びつくのは必然なのかもしれない。
流れないで澱んだ水は腐るだけと言うが、人間の活動にも当てはまり、人間の場合流れる状態とはオリジナリティを求めることで、オリジナリティを求めなくなったら澱んで腐ってしまう。
オリジナリティということばは、言語明瞭意味不明な言葉で、ついつい難しく考えてしまいがちだ。
お笑い芸人がオリジナリティを意識すると、避けようとするのが「ネタ被り」だろう。
お笑い以外の世界でも当てはまるはずだ。
この「ネタ被り」を恐れる気持ちがオリジナリティを遠ざけるのだ。
人間が考えることなんて大した違いが無くて当たり前。
これからの時代は、被らないネタなんて無いし、あったとしてもそこに需要はない可能性が大だ。
そうすると、「被ったネタ」でいかに勝負するかが問われる。
ネタが被ることを恐れるな!