世間に出回る情報の総量が飛躍的に増えた結果、純粋なオリジナルの価値が高まっているが、だからと言って金銭的な評価が高まるというわけではない。
純粋なオリジナルは、他とは似てないことが大事で、仮に違いはわずかであってもその違いが圧倒的な差に繋がってればオリジナルとしての評価は揺らがない。
例えばお笑いのジャンルにおけるネタの総数を考えると、純粋なオリジナルはどの位あるのだろうか?
オリジナルの反対はパクりだろうが、創作過程はオリジナルであっても、出来上がったネタが醸し出す雰囲気が似てるネタが他にあればパクり認定されるだろう。
一見自由に見えるお笑いの世界だが、ネタが備えなければいけない基本パターンは限定的なので、ヒットするネタがパクり指摘を受けることは珍しいことではないが、これはパクったからヒットしたわけでもパクったけどヒットしたわけでもなく、やっぱりネタが良かったからと言えるだろう。
ネタを作った時点では想定してなかった時流を上手く捉えていたりなど、タイミングの良さもヒットの重要な要素だろう。
こういうことは、その他の分野にも当てはまる。
今、商品として売られてるものの中に純粋なオリジナルなんてあるだろうか?
あるとすれば、全ての工程が手作業で行われているもので、芸術性を帯びているものに限定されそうだ。
作られるものは、オリジナルを意識すると芸術性に近づいて行き、そうでないものは工業製品化へ向かう。
工業製品化とは、一種のリアクション芸だ。
こうすれば受けるんじゃないか(=売れるんじゃないか)、こうすればもっと評価が上がるんじゃないか、と顧客との腹の探り合いというリアクション芸で、リアクション芸が成立するのはその商品やその商品が属するカテゴリーがすでに一定の評価を受けてることが前提になる。
お笑いの世界では、リアクション芸はすべり芸に端を発すると言われてるようだが、工業製品化を成立させるためにはすべり芸を卒業しておく必要がある。
それに対し、オリジナルにこだわることは、売れる売れないは二の次で、作りたいものを作るという芸術性で勝負してることになる。
この場合オリジナルであることは、簡単にはパクれないという再現性の低さが大事になる。
私が『ハムレット』の原典を取り寄せて全く同じ文字列を打ち込んだら、それはオリジナルとコピーの見分けなどつかないはずで、しかし『ハムレット』が芸術であることは全く変わらない。ならば芸術性とは作品の内部にのみ存在する性質であるわけだが、その芸術性を生み出しているのはなんなのか?
— 三兎群青 (@azurite20439766) May 6, 2019
その答えは禅問答になる。
一般にコピーすることは再現することだと考えられる。
文字情報ならば、意味が同じ通りに伝われば再現性があると言って良いだろうが、行間が伝えるものがあったとするなら、コピーでは伝えることができないかもしれない。
そういう行間を含めた空気というものが創作物には宿るもので、そこに宿ってる空気は作り手本人もコントロールできないものになるので、結果的に再現性が低くなる。
俗に言う、「同じものは二度と作れない」という状態だ。
芸術にとって大事なことは再現性の低さで、工業製品化にとって大事なことは再現性の高さとなる。
グローバル化した現代は、あらゆるものが工業製品化している。
商品だけでなく、人にも組織にも再現性の高さが求められている。
現代の人々は、再現性を高めることに夢中になっている。
多くの人が、自分なりの成功哲学を持っているが、その再現性を高めることに躍起になっているのだ。
現在、再現性を高めることを目指す人々は、どの分野も満員すし詰状態で、とても再現性を高めることを目指せる状態ではなさそうだと思える。
このようなことを考えていると、再現性の低いことを楽しめる能力が魅力的に思えてくる。
180度反対の価値観を、プランBとして常に考えておくことが重要だ。