世界が進歩を目指す限りイノベーターの誕生は必要だ。
イノベーターに求められるのは、イノベーションの創造だけ。
それ以外は別の誰かが考え整えれば良い。
誰がイノベーターになるかもどうでも良いことで、イノベーションを創造できるのなら誰でも構わない。
上記のイノベーターやイノベーションの部分はあらゆるものに置き換え可能。
もし、人類の上に神がいて、人類をどのようにコントロールするかをあくまでも人類の自治に任せるならば、そのように考えるかもしれない。
一方、人類の側はどうだろうか。
上記で例に挙げたイノベーターの場合だと、賞賛と富と権力がセットで手に入るだろう。
あらゆる分野で、トップに位置する者には起きる現象だ。
そんなトップを目指す自由は、日本人なら誰でも持っている。
自由とは持ってる人には当たり前で、それだけではなんの得もないが、世界には持ってない人も多く、罪を犯せば持っていても奪われる。
誰でも持ってるわけではないといえば、トップを目指すために必要な資質や環境もある。
自由であることは必要な環境の一つであることは間違いなく、これがあるだけで、たった一人だけのトップという分野を創造可能になる。
ナンバーワンよりオンリーワンというフレーズが流行ったことがある。
その時歓迎されたのは、ナンバーワンには一人しかなれないが、オンリーワンなら誰にでもなれるチャンスがあるという価値観だった。
しかし、オンリーワンという価値観は消えたとは感じないが、薄らいだようには感じられる。
それは、きっと人間が比較する生き物だからだろう。
オンリーワンは保険のような存在で、ナンバーワン争いで傷ついた心を癒すものかもしれない。
オンリーワンで傷ついた心を癒したら、またナンバーワン争いに参戦するもありだろうし、オンリーワンを極めるのもありだろう。
極められたオンリーワンは、ちょっとやそっとの頑張りで真似できるものではないので、気が付くとナンバーワンになることもある。
本当はオンリーワンの存在でいたいのに、ナンバーワンという評価が付いて回ると追われるようになり、不毛な争いと無縁でいたかったはずなのに、不毛な争いという戦場に駆り出されることになる。
こんなことを考えていたら、歴史が繰り返すことがわかるような気がする。