自己満足、他人が浸っていればバカにするが、自分自身が一旦浸ったらなかなか抜け出せない。
目的や目標と言われてることの多くは自己満足の追求だが、それらは手に入れたい、実現したい、という目指すものとして機能するので、ポジティブな力につながりやすい。
一方、自己満足の一種とも言えそうであり他人を満足させる他己満足を目指すようにも見えるのが、例えば宗教だ。
誰かが悪いわけではない自然災害の被害者や突然の理不尽の被害者やその家族など身近な人達が負った多様な傷は、ごく普通の生活を営むことすら困難にしてしまう。
そんな時は、なんでも良いから自己満足できるものが必要になるのだが、自分の力で自己満足を描けない状況に陥ってしまい長期間回復困難になる場合がある。
そんな時に役にたつというか、心の隙間を埋めてくれるものに宗教がある。
理不尽な被害に遭った人、特にそれが小さな子供であれば、全くの赤の他人の話であっても心は穏やかでなくなる。
きっと天国にいったはずだ、生まれかわって幸せになれるはずだとでも思えなければこちらも辛くなる。
そんな時に、「ああ、宗教は無くなることはないな」と思える。
逆に言うと、宗教があることで心のバランスが取れてる人が大勢いるのだろうなと思えるが、表向きリア充の競い合いをしてるような現代では宗教を必要とするような心に大きな隙間ができた人の存在はなかなか見えづらくなっている。
そんな見えづらくなった一部の人は「キモくて金のないおっさん」と言われるようになっている。
弱者なのに弱者に見えない人を総称して「キモくて金のないおっさん」と呼んでいるのだが、もちろんおっさんに限った話ではない。
「キモくて金のないおっさん」は、理不尽な被害者というわけではないが、共通する心理状態には置かれているだろう。
「ここから逃げたい」、「そこから抜け出すためには」ばかりを求めるようになる。
そうなると、待ってましたとばかりに喪黒福造が「貴方の心の隙間を埋めます」と現れる。
— 「笑ゥせぇるすまんNEW」公式 (@warau_new) August 30, 2017
喪黒福造に破滅させられる人は約束を守らなかったり、忠告に従わなかったから破滅させられるケースが多いが、中には明らかに最初から破滅させるつもりで接近してる場合がある。
そういうところが宗教や自己啓発(最近だったらオンラインサロンも)と非常に似ている。
心の隙間を埋めるためにと称して突け込まれるのは潜在的な願望。
潜在的な願望とは諸刃の剣。
ポジティブに行動するために必要であるとともに、執着し過ぎるとネガティブな状態にもなる。
潜在的な願望が増え、それが大きくなればなるほど、心の隙間も大きくなる。
大きくなった心の隙間が破裂しないうちに、潜在的な願望を見直した方が良いかもしれない。
心の隙間に入り込んでいるのは、潜在的な願望という虚しい空気の塊かもしれない。