違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

相手の目を見る時は、白目を見よう!

テレビでCMを見てると、南海キャンディーズの二人が出ていてコミカルな遣り取りで『若い芽を摘んでおかなきゃ』と言っているのが妙に引っかかってしまった、何度も聞いていて今までは気にならなかったのに。

 

自分自身の肉体に関しては新陳代謝に依存して生きているはずなのに、活動としての営みに関しては、新陳代謝が嫌なのが人間の本性かもしれない、と感じられた。

 

 

この表現の由来はなんだろうかと気になった。

 

 

野菜や木を大きく育てる場合に、根が養分や水をある程度独占できるように、周りにある生育が芳しくない同種やライバルを抜いたり切ったりする間引きに通じることかなと思って調べてみると、植物は全く関係ない人間の営みだと分かった。

 

 

サル山でボスザルの交代劇が争いで決着がつけられるという話を見たり聞いたりしたことがあるだろう。

 

ネットをざっと検索するとおもしろいことが分かった、信憑性を確認したわけではないが。

 

テレビで見るようなボスザル争いをしてるのはニホンザルなのだが、野生のニホンザルはボスザル争いなどしないらしいのだ。

 

ボスザル争いをするのは、観光地や動物園など人間に餌付けされたり飼育環境にある猿らしいのだ。

 

これは狭い領域で過度の競争が行われるからだろうと想像できる。

 

野生のニホンザルでも個体数が増えすぎたり、エサが極端に不足するとボスザルは登場するかもしれない。

 

ボスザルを求めるDNAをニホンザルは持っているのだろう、ただそのDNAが発動するには条件があるのだ、それが猿なのだ。

 

動物分類学では人間はヒト科に属していて猿とは区別されている。

 

おもしろいことは、一般的に猿の仲間だと思われている、チンパンジー、オラウータン、ゴリラはヒト科なのだ。

 

昨年まで京大総長を務めていたゴリラ研究の第一人者の山極壽一先生は、こう言っている。

 

ニホンザルは基本的に食事の分配はしないので強いものが独占するが、チンパンジーやゴリラは分配する。

 

ヒト科の動物で人間だけが持っている特徴が、コミュニケーションを取る集団のサイズを変えながら生きるという点。

 

大元には家族があるが、大家族から核家族へ移り、二人世帯や単身世帯も増えているというのは、家族ですらサイズを変えていることを示している。

 

チームスポーツや会社における部や課に多いのが10〜15人というサイズで、これはゴリラの平均集団サイズで、ことば以上にフォーメーションプレーのような身体コミュニケーションが重要だとされている。

 

30〜50人になると、教室や軍隊の中隊や宗教の布教活動集団のサイズとなるらしい。

 

100〜150人になると、共有した経験や外見の記憶が伴わないと信頼を持てなくなるらしい。

 

 

なんとなく分かるような気がするが、これらは全て対面でのコミュニケーションが前提。

 

対面である必要な何かというと、気持ちが伝わるから。

 

 

集団のサイズを変えて生きる人間にとって重要なことは、相手が信頼できるかどうかを見抜くことで、その役目を担っているのが目だと言われている。

 

目は口ほどに物を言う、だ。

 

 

ヒト科の動物で、人間だけの特徴が目に白目があることらしい、指摘されなかったら気付かなかった。

 

 

目が物を言うと言われる時の目とは、たぶん白目のことなのだ。

 

相手の目を見る時、わたしは黒目を見ることが多かったような気がするが、それじゃあダメだったのかもしれない。

 

 

 

今日のブログを書き始めた時は、若い芽を摘むという意味で老害と結びつけるつもりだったのだが、別の方向に向かい始めた。

 

コロナ禍で、テレワークやズーム会議、はたまたズーム飲み会などが浸透し始めたが、ただITを駆使した新しいコミュニケーションだと単純に喜んでばかりはいられなさそうな気もしてくる。

 

 

確実に、対面で相手の白目を見ながら取れるコミュニケーションが減り始めてる。

 

このことは身の回りから信頼が減ってることでもあるのだ。

 

そう思ったら、こんな話題が出ていた。

 

 

 

 

信頼が減ることは、安心や安全が減っているということを意味している。